滅びる王国の皇女と騎士 




「王を討ち取れぇぇ!!」
「王の独裁をこれ以上許すなぁ!」

城の中にそう叫ぶ声が増えていく。
ラナ・レンナルトはそれを自身の部屋から聞いていた。
窓の外では、既に大勢の民や王に反旗を翻した騎士たちが城へと攻め入ってきている。
どうしてこうなったのかと慌てる事はしなかった。
ラナはこうなることを知っていたからだ。いや、当事者の一人といってもいい。
父である王は、世襲した当初はまだ慕われている良き国主だった。
だがしかし、国王という権力に溺れたのか、はたまた誰かに唆されたのか、次第に王の政策は独裁へと変貌していき、今では咎める臣下がいれば切り捨てるほどの狂王となってしまった。
それでも、無き妻の忘れ形見であるラナに対しては愛情を持っている事をラナ自身は知っている。
ラナには愛しそうに微笑み、頼みごとをすれば聞いて叶えてくれたりもした父。
一方で、誰からも恐れられるようになった父。
それが苦しかった。民を虐げる父が。臣下を信頼せず、狂っていく父が。
これ以上続けばこの国はいつか近いうちに滅びてしまう。
だから、ラナは計画を立てた。
町娘に扮して王に不平を持っている者たちに接触し、城の内部を事細かく記した図を渡した。
今までの圧政に対して、民は限界に限界を重ねていたのだ。だからなのか、これに民は食いついた。
そして、城の中でも王に対して不満を持っている騎士や臣下たちを行動させる為の工作もした。
慎重に計画を運ぶ。計画がばれれば狂王の事、関わった者たちを皆殺しにしかねない。
それでも、それだけのリスクがあろうとも成し遂げなくてはいけないことだった。
……結果、この計画は成功した。
現在は王を守ろうとする騎士たちは崩れ、城は陥落寸前にまで陥っている。
ラナは一人、これで良かったのだと呟く。

「ラナ皇女」

と、ラナの背後に誰かいたのか名を呼ばれた。
「そなた、ハンスか」
振り返ることなくラナはそう言った。
ハンスはラナに良く仕えている騎士だった。また、ハンスはこの国にとっての英雄でもあった。
まだ王が良き国主だった頃、常に側にいて国を支えたりしてくれた。
戦争が起きた時も、戦に参加するとその戦いは一騎当千の如く、どんな苦境にも挫けず勝ち続けてきた。
そして、だからこそ民が反乱を起そうと思い立ち、騎士や臣下を動かすことができた。
「はっ、既に城では殆どの兵が投降しております」
「そうか」
ラナはそう言ってからしばし黙った。
ハンスも、ただ黙ってその後姿を見詰めている。
「…………よく、やってくれました」
ポツリとラナは呟いた。
「…………」
「そなたが居てくれたからこそ、こうして成功することが出来たのだから」
「その言葉、騎士である私には身に余る光栄です」
言葉ではそう言っても、納得していないのがラナには見えなくても分かった。
反乱なのだ。それを感謝すると言われても心から喜べるはずもない。
振り返るラナ。
ハンスは、片膝をついて頭を垂れていた。
「ハンス、そなたは立派な騎士です。きっと、この国にはそなたのような者が必要なのでしょう」
「…私にはそうは思えません」
「いいえ、そなたが居たから民たちはこうして勇気を出すことができた。独裁を続ける王に逆らうことができた」
「……………」

「だから、私は安心しました」

その言葉にハンスは、ハッとして顔を上げた。
ハンスが見たのは、まるで何もかもを包み込むような優しさを持った皇女の微笑みだった。
「ラナ、皇女」
「この国は、我が父である王によって苦しめられてきました。その責任は、きっと王一人だけという訳にもいきません。王の血族である私にもあります」
「っ!」
ハンスは唇を噛み締めた。
計画を考えたのはラナだ。きっと、その時から既に決めていたのだろう。自分も死ぬということを。
だが、計画を聞かされたハンスはこの時まで気付かなかった。いや、気付かない振りをしていた。
「ラナ皇女!まだ民はここまで来ていません!どうか、どうかお逃げください!」
ハンスは叫んだ。気付かない振りをした自分を罵りながら、どうか逃げてくださいと皇女に懇願した。
どうにかして皇女を助けたいと、そう思いながらの言葉だった。
ラナはそれに首を振った。
「ハンス、そなたのその言葉は嬉しい。だが、私はもう心に決めています」
「ですがっ!」
「既に民もそれに協力した騎士たちも、私を王もろとも処刑しようと騒いでいます。それは当然のこと。私も、少なからず民を苦しめた一人なのですから」
ハンスはそれを否定する為に口を開こうとしたが、ラナが遮るように告げた。
「私は王という父を持った娘、ラナ・レンナルト第一皇女殿下。皇族として、この戦いを終わらせる事が今の私の役目です」
これ以上の反論は許さないと、ラナの毅然とした瞳が物語っている。
まだ15歳という若すぎる少女のその瞳に、立ち姿に、ハンスは誇り高く気高い皇族を見た。
それで、ハンスの心は決まった。
「ならば、私もお供いたします。私が仕えるのはラナ皇女、貴方だけです」
「そなたは、本当に立派な騎士ですね」
何が可笑しいのかラナはこんな状況にも関わらずクスクスと笑った。
それは、心を許した相手にしか見せない年相応の笑顔。
ハンスも、その笑顔に微笑んだ。が、

「ですが、そなたが共に来ることは決して許しません」

その一言に凍りついた。
「ハンスよ。そなたは英雄、その英雄が私と共に来てしまったら彼らは誰を信じるというのです」
「わ、私の他にも優秀な者はたくさんおりますっ!」
「ハンス、私にとってはそなたが皆を導いてくれる優秀な人物です」
「違いますっ!俺はっ…………私は、そんな大それた者ではありません」
「大丈夫です」
ラナはそっとハンスの頬に手を添えた。
その手が僅かに震えているのをハンスは感じて皇女を見た。
「きっと、そなたなら立派に民を導いてくれるでしょう」
「ラナ、皇女」
そっと、皇女は離れる。ハンスの頬にあった手の温もりも一緒になって消えていく。
ラナは、周りに起きている騒ぎとは裏腹に、ゆっくりと、普段通りに部屋の扉まで歩いていく。
もう、止める事はできなかった。
ハンスよりも、ラナは心が強かったのだ。
まだ少女とも言える年齢。本当は恐怖し、泣き、逃げ出したいと思っているだろう。
だが、それよりも皇女は国の未来の為にそれらを抑え込んだ。
それがどんなに難しいことかを、ハンス自身よくわかっている。
だからこそ、もう止める事はしなかった。
代わりに、言った。
「ラナ皇女、皇女に仕えられたこと、心より誇らしく思います」
「ありがとう、私の騎士よ」
そして、皇女は扉に手をかけた後で、何かを思い出したのか振り返りハンスに笑顔を向けた。
「ハンス、最早この国の未来を私は見ることは叶いません。だから、最後の命を与えます」
「はっ!」
最後の命。その言葉にハンスは一字一句聞き逃すまいとする。
皇女は、片膝をついて頭を垂れた騎士に最後の命を告げた。
「この国の先にある未来、そなたが私の代わりに見て、支えて欲しい」
「………ラナ・レンナルト第一皇女殿下に仕えし騎士の名に懸けて、必ずやその命を果たして見せます」
自身の胸に誓うように、言葉を紡いだ。
皇女はそれを聞いて、これから苦難に立ち向かうであろう騎士に心の中で謝罪と感謝を述べながら、
「では、頼みましたよ」
まるでどこかに出かけるかのような、そんな穏やかな声色だった。
そうして、皇女は部屋から出て行った。
騎士ハンスは皇女が出て行った後も動かず、ただ頭を垂れ続けた。
それは、これから起こるであろう死に毅然として向き合う皇女に対して敬意を払っているものであり、また、皇女を守ることが出来なかったことに涙しているからだった。

そうして、一国の騒動は終わった。
王と皇女は処刑され、英雄と言われる騎士が次の王となる。
民はこの新王を歓迎し、他の騎士たちも忠誠を誓った。
そして、後に英雄王と言われる王が誕生したのである。
だが、皆は知らない。
ラナ・レンナルト皇女と英雄王の交わした言葉を。
英雄王が仕えた皇女から授かった最後の言葉を。

あの反乱から数十年が経っていた。
今ではどこも豊かになり、民は笑い合って王を称えて毎日を過ごしている。
そんな中、王となってから宛がわれた自室で、英雄王は外を見る為に窓を開けた。
窓を開けると目の前に広がるのは城下町。今ではかなりの大きさで、都市といっても過言ではないほどだ。
英雄王は空を見た。その目は遥か遠くを見ているようでもある。
そして、まるで空にあの人がいるような気がして英雄王はポツポツと語った。
「ラナ皇女、果たして私は貴方の命を守っておられるでしょうか?…まぁ、きっと貴方のことだから、まだまだだと言うのでしょうね。ですが、私の命が潰えるその日まで国を支えることが出来た時は、私を褒めてくれるでしょうか」
そういう英雄王の独白は、しかし誰にも届かない。
暫らくそうしてから溜息をつくと、もう直ぐ議会が始まるため英雄王は窓を閉めようとした。が、
そのとき、窓から何かが入ってきた。
「?」
なんなのかと疑問に思って手に取った英雄王はそれに驚いた。
「これは………」
それは、澄んだ青色をした宝石だった。そう、ラナ・レンナルトの瞳と同じ色。
どうして宝石がこんなところから入ってくるのか、風に飛ばされたとも考えられない。
そうやって疑問に思っていた英雄王だったが、突如何かを感じたのかハッとなり空を見上げた。
宝石を手に持ったまま、しばし呆然と空を見上げていた英雄王は、不意に笑みを浮かべて、
「まったく、貴方は…」
そう言いながら、英雄王は久しぶりに心から笑った。
そして、空に向かってあの時のように片膝をついて頭を垂れた。
ラナ皇女が、まだまだだと言いながら褒めてくれているように感じて、英雄王は微笑みと共に心からその言葉を告げた。

「有り難き幸せ」