Grace sorprendente  一章 3 




シアと千歳が台所へ顔を出すと、ちょうどシリクが料理を作り終えたばかりらしく、使った包丁などを桶に入った水で洗っているところだった。
シアと千歳がきたことに気付いたシリクは早々に洗うのを終えて、もういいのかとシアに目配せするのが見えた。
シアは先程のことを思い出したのか少し笑ってからシリクを見返す。
「ご飯食べ終わってから詳しく聞くことにしたの」
それにシリクは多少訝しげに見ていたが、シアは応えずに出来た料理を木のテーブルに並べる。
千歳も手伝おうとしたのだが流石に怪我人を手伝わせるわけにはいかないのか、シリクとシアの両方に座ってるように言われて渋々従って大人しくしてることにした。
そしてテーブルに並べられた料理を見た千歳だが、どれも見たことがない料理をまじまじと眺めた。
深い大皿に入っているのはシチューのようなもので、その中に大雑把に切られた肉や野菜が沢山入っている。これがメインなのか、食卓の真ん中に置かれており、他にはパンと何かの果物が各自の皿に乗せられていた。
「はい、これはあんたの分」
「あ…ありがとう、ございます」
「ん…」
珍しそうに料理を見ていた千歳の目の前に、シチューをよそった皿を置いてくれたシリクにおっかなびっくりお礼を言う。
シリクはそれに少し照れくさそうに返事をしてからシアの分と自分の分もよそって席に着いた。
「それじゃ、お祈りをしましょうか」
全員が席に着いたのを確認したシアは、そう言って合わせた手を額につけて眼を閉じた。
それにシリクが習って同じような体勢をする。
千歳はその二人の行動に戸惑っていたが、シアがちょっと待っててねと言ったので黙って待つことにした。
「豊穣の神ラジェルよ。この食事を頂くことに感謝します。あなたの恵みにより私たちはこうして今日も祈りを捧げる事が出来ました。どうぞ、また今日一日の為にここの食事を私たちの糧としてください。豊穣神ラジェルの御手によって…………それじゃ、食べましょう」
「それ、食事の前に必ずしてるの?」
シアとシリクがお祈りを終えて食べ物に手をつけるのを見ながら言う千歳にシアは苦笑した。
「そうなの。私たちにとって豊穣の神ラジェルはとても身近なのよ。作物が育つのは豊穣神ラジェルの恵みがあってこそだからね。だから、その恵みをくださる豊穣神ラジェルにこうしてお祈りしてから食事をするのが村の人たちにとっては当たり前になってるの。多少言葉が長いのがあれだけどね」
「本当だよな。どうせならもう少し短くしてもらいたいもんだよ。折角の出来立てが長いお祈りの分冷めちまう」
「あんたは面倒臭いだけでしょ」
「ひでぇ」
大げさに傷ついた顔をしたシリクに笑うシア。それに千歳も控えめに笑って、自分も食事前にする言葉をするために手を合わせた。
作法は違っても立派なお祈りである。何気ない風に言葉にしていたが、これもシアやシリクのしたお祈りと同じように食べ物、作ってくれた人などに感謝する為にある言葉なのだからしっかりと心を込めて言葉にした。
「いただきます」
こうして心で感謝しながらいただきますと言ったのは初めてで、なんだかくすぐったくなったのかそれを誤魔化すように千歳は食事に手をつけようとしたのだが、ふと視線を感じて顔を上げた。
すると、そんな千歳を食事を止めて見詰めてくる二人の視線があることに気付いた。
「どうしたの?」
「チトセ、それ…もしかしてお祈り…?」
「まぁ…そうだけど…」
頷く千歳に二人は顔を見合わせて、それから軽く溜息をついた。
千歳はどうして溜息をつかれたのか分かっていたがあえて何も言わなかった。
国どころか世界が違うのだから千歳の言うお祈りはさぞ変に思えたのだろう。
それから、シリクが複雑そうな顔で何でもないという素振りをして食事を再開するが、少ししてやはり気になったのか千歳に対して恐る恐る質問してきた。
「なぁ、チトセだっけ?俺はまだ話を聞いてないからあんたがどこの誰だかしらないけどさ、そんなお祈りがあんたにとって当たり前なのか?」
二人組の男たちに襲われた事があって、男に対して多少警戒心を持っている千歳は何だか気まずい思いをしながらも頷いた。
「あ、はい。私のところではこれが普通です。……えっと…やっぱり私も豊穣神…ら…ら…」
「ラジェル」
「…ラジェルにお祈りした方がいいですか?」
なんとも気まずく申し訳なさそうにする千歳だったが、シリクはそんな千歳に笑って否定した。
「いや、別に強制なんてしないさ。豊穣神ラジェルはよっぽどの事がない限り怒らないっていう神様だし、一人ぐらい違うお祈りをしても大丈夫だろ」
「それなら、良かったです」
「寧ろ…」
「?」
「お祈りの言葉が短くて羨ましいくらいだな。豊穣神ラジェル様も、もう少し寛大な心を持って言葉を短くしてほしいもんだ。そうだろ?」
笑顔でおどけるシリクに千歳は最初ぽかんとしたが、それから直ぐに笑った。
やっと自分に笑ってくれたとシリクは嬉しくなったのか、更に笑顔になる。
「そんなに言葉を短くしたいんですか?」
「当たり前さ!特に腹が減っている時なんか目の前に御馳走があるのにお預けを食らってるみたいで本当に辛いんだ」
「それはシリクが食い意地を張ってるからでしょ?」
「男が食い意地張らなくてどうするんだ!」
笑いながらシアが言うと大演説するかのように言い返すシリクに、またも二人は笑う。
この人は面白いなぁと思いながら、千歳はなんだかさっきまで警戒していたのが馬鹿らしくなった。
「それじゃあ、シリクさんも今度からしますか?」
「そうしたいのは山々なんだけどさ、そうすると口喧しいのが更に喧しくなっちまうから断腸の思いだけど遠慮するよ」
それを聞いた瞬間、さっきまで笑っていたシアの眼が光った。
「あら、口喧しいって誰のことかしら?」
「さぁ、誰だろうな」
「そういいながら私を見てにやけてるのはどうしてかしら?」
「それはあれだ、あまりにも綺麗で可愛いシアに見惚れていたんだよ」
「シリクは見惚れている相手に、今にも笑いそうでにやけた表情をするのね。良くわかったわ。それじゃあ今度から近所のルーシィ相手にもその表情をしていくのよ?私見てるから」
瞬間、シリクはかなり慌てたのか咳き込んだ。急に言われたからなのか図星をつかれたのか分からなかったが、顔が赤くなっているのを見ると後者らしい。
「ちょっと待て!どうしてそこでルーシィが出てくるんだっ!関係無いじゃなじゃないか!」
「あら、関係無くないわ。だって、ルーシィはこの村で一番の美人だからそうなる男たちが沢山いるんだし、シリクだって例外じゃないでしょ?」
これにはシリクも二の句が告げないように固まった。
どうやら勝敗が決まったようで、項垂れるシリクに勝ち誇るシアは満足したようで食事に戻る。
やり取りを見ていた千歳は笑ったらいいのかシリクに同情したらいいのか分からないので、誤魔化すようにやっと初めて食事に手をつけた。
「あ、おいしい」
シチューを口にした途端に濃厚な味が広がり、空腹のお腹に染み渡る。
見た目はクリームシチューなのに、味はどちらかというとビーフシチューに似ている。
大きめに切ってあるジャガイモや人参、玉葱、そして肉が入っていて結構ボリュームのあるものになっていた。
「そう?本当においしい?」
「はい。お料理上手なんですね」
おいしそうに食べる千歳に、シリクは項垂れた姿から立ち直ったのか嬉しそうにその姿を眺めていた。どうやら、作り手の彼にとってそれは御褒美のようなものらしい。
シアも、そんなシリクを盗み見て嬉しそうに小さく笑いながらパンを口にした。


◆◆◆◆


それから三人は朝食にしては結構な量を食べて粗方食器などを片付けた後、分かりやすいようにテーブルの上に地図を広げてから改まってシアが説明した。
シリクは千歳のことは名前や容姿、食事の最中に変わったお祈りをしていたということでここの国の者じゃないということは分かったが、詳しいことは分かっていない。またそれは後で分かると思っているのか、まず自分たちのことを話すというシアの言葉に黙って従った。
「ここはガルバニア大陸という色んな国が隣接している大陸よ。それで、北の方にある海がルミール海。そして、その中で大国と言われている国は五つで…」
「それぞれ中央西側にあるキリジア帝国、中央の最も東側にあるギルヴァート帝国、北陸のシンスール帝国、最南にあるエリューカ皇国、エリューカ皇国の上に位置するヴィルミシア帝国の五つだな」
「キリジアって確か、ここの国の名前…」
思い出しながら呟くように言う千歳にシリクは頷いた。シアもそれに続いて頷いてから説明を続ける。
「そう。そしてここはキリジア帝国と、中央にあるマーシル帝国っていう小国との境目にある村なの。大体ここから一つ山を越えたらマーシルの国境に入ると思うわ。それだけこの村は向こうの国に近いの」
「といっても、マーシルとはほとんど交流がないからどんな国なのか分からないけどな。こっちもこっちで自分たちの生活を支えるのに必死だから隣のことなんて知ろうともしてないけど…」
肩を竦めるシリクにシアも同意するように苦笑する。
「話を戻すわね。それで、ここの国のことなんだけど…キリジアの首都はラーデン。お城もだけど、兎に角大きな都市ね。大きなお城の周りには貴族の屋敷とかあって、更にそこから平民や商人たちとかの家が並んでいるわ」
「行ったことがあるの?」
そう聞いた千歳だったが、シアは首を横に振って否定した。
逆にシリクがシアの代わりに答える。
「シアは行ったことがあるんじゃなくて、あそこから出てきたんだ」
「え、そうなの?」
吃驚した千歳に、今度はシアが頷いた。
「そうよ。でも、小さい頃だったから覚えてるのは兎に角人が多いことと都市が広かったくらいね」
「なんで出てきたの?」
「さぁ、なんだったかしら?あまりにも小さい頃の出来事だったから忘れてしまったわ」
「そうなんだ」
あまり話したくなさそうに苦笑して首を振るシアに、千歳は追求を止めた。
黙って聞く体勢に戻った千歳に、シアは話を続けるため口を開く。
「それで、首都ラーデンの城に住む王様がいるんだけど…最近先王様がお亡くなりなって、お子息様であるウォルグリード殿下が即位して新しい王様になったばかりなの」
「ウォル、グリード……?」
その名前を聞いたときに、何か違和感を感じて千歳は首を捻った。聞いたこともない名前なのに、どうしてか気になった。
しかしシアはそんな千歳に気付いてないのか、その新しい王様のことを少し興奮しながら話し始めた。
「そう!今はウォルグリード陛下って呼ばれているわ。先王様と同じでとても優れた方で、私たちキリジア人は良い暮らしをさせていただいているの」
「そうだな。俺たちのいるこんな辺境の村もしっかりと見てくださってるから感謝しても足りないくらいさ。あとディルヴェント様にもだ」
「ディルヴェント様?」
同じく興奮しながら話すシリクに千歳は知らない名前を聞いて誰なのか分からずシアを見る。
シアはそれに応える為なのか、広げてあった地図に描いてあるベルツェ村より少し離れたところを指した。
「陛下の代わりにこの村を見る役割を持っているのがロンダーという土地に住むディルヴェント郷っていう方なの。不作や豊作、災害や人害などに対して色々積極的に助けて頂いているの。その時の物資やら何やらを貰うために首都ラーデンに逐一報告して、それを陛下が直々に検討してから送ってもらっているのよ」
「なんでそれがわかるの?」
辺境と言われるだけあって首都とかけ離れた場所にあるというのに、どうしてそこまでの事が分かるのか気になって千歳は聞いたのだが、シアとシリクの二人は笑いを堪える様な顔をしながら、その代表としてシリクが説明した。
「それはディルヴェント様がこの村に来る時によく言ってるからなんだ。ここにある物は、首都ラーデンにおられるウォルグリード陛下が、この土地に訪れた災いに心苦しく思われて送ってくださった陛下の御心である。有難く受け取るのだ!……って」
「シリクあんまり似てないわよ」
「おかしいな、結構自信あったのに…」
ちょっと残念そうにしたシリクを無視してシアは話を続ける。
「……まぁ、そのお陰で私たちベルツェ村や他の村の人たちはこうして今も元気でいられるのよ」
無視されたシリクは慰めてくれたっていいじゃないかと不満顔になりながらも気分を取り直して続ける。
「それに、ディルヴェント様は陛下を尊敬してるって事を村の奴らで知らないのはいない位あの人はよく陛下の事を聞かせてくれるから、俺たちもなんだか影響されちまって見もしない陛下を尊敬してるんだ」
「きっとディルヴェント様の熱意が私たちにも伝染してしまったのね」
「でも、あの暑苦しい性格は伝染したくないな…」
クスクスと笑い合うシアとシリク。どうもディルヴェントという男の熱弁を思い出しているらしい。
千歳は不思議そうに二人を見ながら、今までの話を整理した。
ここはガルバニアといわれる大陸で、そこにある5つの大国のうちのキリジア帝国という国が今いるところ。そして更に詳しくすると、中央西側にあるキリジアと中央にある小国マーシルとの境目にある村のベルツェ村という小さな村に自分は拾われた。また、この村はロンダーという土地にいるディルヴェント卿という人物によって色々と助けられて日々を過ごしているらしい。
「ここでの説明はこれくらいでいいかな?他に何か聞きたい事あったら聞くけど…?」
頭の中で整理している千歳に、シアはそう言ってきた。シリクも同様にそう言いたかったのか千歳を見る。
千歳は、あと何か聞きたいことがあったかと考え、取り合えずは無いかなと思ったのだが、ピンと来たのか一つありましたと言った。
それは何かと無言で問い返す二人に、ある意味言い辛いことであるのは分かっていたのだが気になったのだから仕方がない。
千歳は最初躊躇するように口を開閉していたが、ついに思い切って聞き出した。
「二人は恋人同士なの?」
「それはないからっ!」
実にきっぱりとした力強い返答を二人から頂いた。