荷馬車に揺られて数時間、アランが見えたと言って指を指す方へと目を向けると、目的地であるロンダーの様子が見えた。
石造りの外壁が多くの建物やその中で唯一つそびえ立つ城をぐるっと囲っている。
千歳は、まさかこんなにも大きな所だとは思っておらず驚いた。
近くで見ると余計にその大きさが分かる。外壁の高さが20mもあるのだから当然だ。
そうしてロンダーを見上げていると、入り口である門まで来たのかアランが荷馬車を止めた。
今回は商売で来たわけではないので入ることはしないらしい。
千歳もそれは分かっているのか、そこで降りる事にした。ここまで来れば後は入るだけだ。
それから千歳は荷物を持って荷馬車から降りると、アランとミルカに礼を言ってから別れた。
「気をつけてな」
「元気でね」
そういうアランとミルカに笑顔で返事をしてから、千歳は気持ちを新たにロンダーへと入っていった。
その入り口である見上げる程の門を通過しようとした際に、千歳は鎧を着た男が2人いるのに気付いた。
どうやらロンダーの門番らしく、門を通る人たちをジッと立って見張っている。
この時千歳は訳も無く緊張した。鎧なんてネットとかテレビとかでしか見たことがないだけに、生で鎧を見るとその迫力がよく伝わってきた。
そして、もしかしたら呼び止められるかもと、ある筈のない不安に駆られていたが、別にそんな事はなくすんなりと門を通る事が出来た。
黒い髪はここでは珍しいらしいので、千歳はアランから貰ったフード付きのローブを被って髪を隠していたのも楽に通ることが出来た原因だろう。
普通なら目立つのだが、ここではそんな事は無く寧ろそういった格好の人たちが結構いるので門番から目を向けられることは無かった。
そして門を通った千歳は、目を輝かせて目の前の光景を見た。
「…すごい」
シアとシリクの説明で、領主が居る場所ということだけであまり詳しく聞いていなかった、まさか露店がびっしりとひしめく様にあり、まるで祭りのように騒がしくも賑やかな場所だとは思ってもみなかった。
ある露店では、豊かな土地で育てたという粋の良い家畜を売っていたり、また他の所では手に持ったアクセサリーを、かの有名な細工師が作ったと声高々に主張していたり、その隣では色んな国から取り寄せた珍しい食材を安く売り付けていたり、とにかく千歳は圧倒されてそれらを見ていた。
それでも、この市場はロンダーの一部なのだろう。人が集まる場所は市場が多いが、その他にも宿屋、飲み屋などが所々ある。
その市場の奥の方に、見た目簡素な城と思わしき建物が建っているのが見える。
きっと、そこにロンダーや他の土地を治めているディルヴェント卿が住んでいるのだろうと千歳はその城を見ながら思った。
「っと、まずは泊まる所を探さないと」
暫らくぼうっと見ていた千歳は我に返ると、そういって荷物を持ってから宿を探すために歩く。
まず泊まるところを確保しておかないと、後でどこにも泊まれないなんていうことがあっては最悪だ。
だが、このくらい大きいのなら一つくらいは泊まる部屋が空いていると思って千歳は気楽に探し始めた。
そして、昼過ぎ頃。
「見つからない」
千歳は市場から少し離れた噴水の端に座って項垂れていた。
立ち寄った宿屋全てが満室などという事態に、千歳は頭を抱えた。
確かにこれだけ人がいれば満室がある宿屋なんて珍しくもないかもしれないが、だからといって訪ねた全ての宿屋が満室というのはいただけない。
とにかく、何としてでも泊まる所を見つけないと外で夜を過ごす羽目になる。
それだけは勘弁な千歳は気分を変える為に頬を叩き荷物を持って立ち上がり、いざ歩き出そうとした。
「きゃっ!?」
「っ!」
突然の衝撃に千歳は荷物を持ったまま転ぶ。
勢い良く歩き出したせいで横から来た人物に思いっ切りぶつかってしまったらしいのだが、その相手は衝撃に動じておらず倒れた千歳を見下ろしている。
転んだ千歳は地面にぶつけて痛むお尻を撫でながら、ふと視線に気付き見上げてぶつかった相手を見た。
千歳とぶつかった人物は赤の髪に灰色の瞳、身長は千歳よりも頭一つ分大きい男だった。服装は上下とも黒い服を着ているが、それが赤い髪を目立たせている。
「あ!す、すみません!」
「…………」
千歳はその赤髪の男にジッと見られて直ぐに気付いたのか慌てて立ち上がり頭を下げて謝る。
だが、無言。一言何か言ってもらえれば良いのだが、何も言ってこないので千歳も下げた頭を上げることが出来ない。
頭を下げたままの千歳とそれを見下ろす赤髪の男。周りに人がいる状況だからか、視線が徐々に痛くなってきた千歳は限界のようにそろそろと顔を上げた。
流石に人目がある所で頭を下げ続けるのは恥ずかしくなってきたのだ。
「……えと…だ、大丈夫ですか?」
転んだ自分が言える事ではないが、ぶつかったのは自分の非である。
なのでそう言ったのだが、赤髪の男はそれでも無言で千歳を見ていた。
というよりも、睨みつけるような視線。
(も、もしかしてかなり怒ってる?)
冷や汗が流れる。ロンダーに着いて早々なんでこんな事にと思った千歳は、怖くてまともに見ることが出来ないのか微妙に視線を逸らす。
「お前は…」
突然の低い声にビクッと震える。やっと発した赤髪の男の声は低く、耳に響いた。
「は、はいっ!なんですか!?」
その声が一瞬寒気を覚えて後退りしそうになったが、それを誤魔化すために背筋を伸ばして少し大きめの声で返事をした。
「……大丈夫か?」
「え………あっ、はい!大丈夫です!」
最初何を言ったのか理解出来なかった千歳は一瞬固まったまま男を見上げたが、直ぐに顔を上下に動かして答えた。
睨みながらなので、てっきり怒られるかと思っていただけに反応が遅れた。赤髪の男はそんな千歳をまだ睨みつけたまま一言。
「そうか」
それからは、もう千歳に声を掛けることはなくそのまま歩いて去ってしまった。
しばし、呆然。千歳は去っていく赤髪の男の背中を見て、そっと息を吐いた。
(き、緊張した)
単純に男ということもそうなのだが、何よりあの睨む目が怖かった。正に蛇に睨まれた蛙の状態だ。
逃げ出したくなる程ではなかったが、今後見かけたとしても積極的に近寄りたくはない相手だ。
(でも、もう会うこともないしね)
一つ深呼吸して、頬を叩いて荷物を持ち上げる。
先ほどの事で時間が経ってしまったが、何時までもここにいては宿なんて見つけることは出来ない。
今度は先ほどの二の舞にならないように、急いで歩かないで周りを確認する。
まだまだ宿屋はある。嫌な事は早めに忘れ、千歳は宿屋を探すために再び歩き始めた。
とはいっても、闇雲に宿屋を探しては満室で落ち込むといった事を繰り返しながら時間をどんどん使ってしまう。
それでもきっともう直ぐ見つかると自身を励ましながら探し回り、そしてついに日が傾き夜になった。
「あ、ありえない。なんで10件全部満室なの…」
辺りは夜になった事で暗くなっている。今は建物の明かりや街灯によって明るく照らされているのだが、夜中になればきっと更に暗くなる。
このままでは野宿という由々しき問題が発生してしまう。千歳はもう半ば焼け気味にそこら中を歩き回った。
また温かい時期なので夜になっても寒くはない。唯一良かったのはそれくらいだろう。
「?」
と、視界の隅に一瞬何かが見えた。
今歩いている道は大通りとはいかないまでも結構人が通る道だ。夜でも飲み屋があるだけで違うらしく、人とすれ違うことが結構多い。
だが、千歳が見ている場所は今いる道とは違うようで、ここって人が通ってるの?と言いたくなるような陰気な感じの道だった。
というより、何だか不気味に感じる。きっと肝試しをしようとしたら絶好の場所なんじゃないだろうか。
そんなことを思いつつも、暗い道の先を千歳は目を凝らして見た。
一応明かりはあるのだが、街灯もなく建物の薄暗い明かりしかないため遠くを見渡すことが出来ない。
だがそれでもじっと見ていた千歳は、それを見つけた。
「宿屋だ…」
薄暗い通りにそれはぽつんとあった。どう見ても繁盛してない貧乏宿といっていいくらいのボロさ、木で出来た看板なんか腐食して所々字が剥げている。
宿というよりホラーハウスというのでも違和感がないくらいだ。
だが、そんな建物でも宿は宿である。10件も満室のお陰で早く宿に泊まれなかった焦りか、千歳は普段なら躊躇するような外見にも拘らずに意気揚々とその中へと入っていった。
「すみません、ここ泊まる部屋空いてますか?」
「いらっしゃい……部屋なら空いてるよ」
千歳を迎えたのは一人の禿げた頭に無精髭を生やした少し太り気味の中年男だった。その男は全くやる気がないのか、千歳を迎えながらも酒を飲んだり欠伸をしてる。
それでも中年男はしっかりと仕事を果たしているのだろう。杯を置くと気だるそうに片手を千歳に向けた。
「泊まるなら120ティルだ」
「あ、はい」
120ティルは千歳の世界だと約千円に該当するから、ここは安い方だろう。
千歳はベルツェ村で手伝いをした時に貰った給金で120ティルを払った。
中年男は額が合っているか数えて、ちゃんと払ったと分かったのか頷いて千歳を見た。
「まいど。あんたの部屋は二階の奥の部屋だ」
ここで千歳はあれ?と首をかしげた。
「あの、部屋の鍵は…?」
「は?そんなのこの宿にはあるわけないだろ」
「え!?」
これに千歳は驚いた。宿なのに鍵が無いなんて部屋に入りたい放題だ。
「そ、それじゃあ誰かが入ってきたらどうするんですか!」
「そんなもん俺の知ったこっちゃ無いね。俺はただ泊まる部屋を提供するだけで、そこで起こった問題に責任はとらん事にしてるからな」
中年男は鬱陶しそうに顔をしかめる。まるでもう聞き飽きたと言うような口ぶりだ。
千歳は混乱していた。そんな宿は聞いた事が無い。
それに何しろ女一人なのだ。なのに鍵無しの部屋に泊まるのは抵抗がある。
「何とか鍵とは言わないまでもその代用になるようなものとか無いですか?例えば木の棒とか」
「木の棒でどうしようってんだ?」
「立て掛ければ多少は鍵の役に立つかもと…」
「ふん、それなら自分で取りにいきな」
「…………」
千歳は沈黙した。内心では目の前に居る中年男に罵詈雑言を浴びせているのだが表情はあくまで普通で通した。
そんなことを露知らず、中年男はやってられないとばかりに首を振った。
「あんまり文句が過ぎると追い出すぞ」
「うっ」
これは効いた。というか追い出されたらもうダメだ。一人で夜の中をこれ以上歩き続ける度胸もないし、もうこんな時間に宿が見つかるという可能性も低い。
結局何を言ってもここで寝泊りするしかないのだ。
千歳は項垂れてすみませんと謝り、いつ気が変わって中年男が出て行けと言う前に、急いで荷物を持って二階の部屋へ行こうと階段へ向かった。
だが、いつの間にかその階段に人がいた。どうも中年男と千歳の言い争う声が聞こえて降りてきたらしい。
部屋の防音さえままならないらしく、もう最悪だと千歳は盛大に嘆きたい気持ちでいたのだが、それも一瞬だった。
頭が真っ白になって、知らず口が開いてぽかんとしてしまった。予想外の事にただ目の前を見る事しか出来ない。
持っていた荷物が手から滑り落ちる。無意識に回れ右しなかった事にしたい。だがそれも叶わない。
そして、しぱらく開閉していた口からやっと出た言葉は喉が渇いたように掠れていた。
「嘘でしょ…?」
階段で立っている男、昼過ぎ頃に出会った(ぶつかったとも言う)赤い髪の男が、腕を組んで睨みながら千歳を見据えていた。