どうやら少年は自分なりのルートを持っているのか、迷いなく走り続けている。
大通りに出たと思ったら狭い路地に入ったり、やっと路地を抜けたと思ったら今度は他人の土地を横切ったり…。
兎に角それらを通って少年は走り続けた。
千歳はそれに付いていくのに必死だった。
普通の走りだったら少年の走り程度ならまだ追いついただろう。
だが、ここは陸上のトラックでもなければ人気のない道でも平坦な道が続くところでもない。
最初の時は簡単に追いつけると思っていたが、大通りでは人が障害となってぶつかったり避けたりして時間をロスしてしまい、狭い路地では横にならないと入れないので走ることが出来ず、時にはちょっとした壁を乗り越えたりしたりもした。
「…っ…障害物…競走じゃ、ないんだからっ…」
そう言いつつ、千歳は追い続ける。
離される様な事はないが、同様に近づく事も出来ない。だが、ちゃんと少年の後姿だけは見えていたので見失う事はなかった。
そんな感じで追っていくと、やっと目的地に着いたのか少年は乱した息を整えながらある扉を開けて入っていった。
そして千歳も少年の入っていった建物の前まで来ると、そこに掲げられた看板を目にしながら呟いた。
「ルメリオ亭?」
どうやらここは飲み屋らしい。
扉は西部劇のバーにあるような押し扉だ。なので、こっそりと中を覗くことが出来た。
その中は、まだ朝ともいえる時間帯なのか人はおらず、閑散としている。
いるのは6人。カウンターにいるルメリオ亭の主人と、その対面に座っている癖の強い髪をした痩せた男、手に空のグラスを持ったままテーブルに突っ伏している禿頭の男、派手で大胆な赤い服を着ている細身の女、その女と同席にいる顔に傷のある男。最後に、あの少年。
そして、少年はその中のカウンターに座っている癖のある痩せた男の方へと歩いていった。
癖っ毛の男はそんな少年を見もせずにぼんやりと退屈そうに座っている。
「ディー、情報貰ってきたよ。他の奴はまだ来てないの?」
そう少年が言ってもディーと呼ばれた男は振り返らない。そのままでぽつりと、気だるそうに口を開いた。
「ああ、お前が最初だな」
そんなことをいうディーに、少年は嬉しそうな顔をして得意げに言った。
「それは当然さ!僕は近道できる道を知ってるんだから」
「……で、どうだったんだ?」
注文していたのかカウンターに置いた飲み物が入っているグラスを手に持って口に一口運ぶと、ディーは早く本題に移れとでも言うかのように先を促した。
ディーのその態度に少し不満そうな顔をした少年だったが、改めると口を開いた。
「ディーの推測通りだったよ。何をしようとしてるのかは分からなかったけど、結構な大人数がこの街にいる」
「そうか」
そう言うなり、ディーはしばし考えるように自らの髪を弄る。
暫らくして考えがまとまったのか、
「そうなると、どうやっても無理だな。この件は深入りしても旨くはないことが分かった。ジル、後から来るケントとリヴィにも伝えとけ。不味い料理が出来上がるから食うなってな」
「分かった」
真剣な表情で頷くジルと言われた少年は、早速言い渡されたことを伝える為に外に出ようとした。のだが、その前にある人物によって妨げられた。
そう、千歳である。
いきなり目の前に現れた千歳に驚きを隠せないジルは、戸惑っているのか狼狽したような口調で話しかけてきた。
「お前…どうしてここに?」
「それは後を追ってきたからに決まってるでしょ」
その瞬間、ジルの目が鋭くなった。
「……どうしてだよ」
睨むようにして問いただしてくるジルだが、生憎子供が睨んでも怖いとは思わない。むしろ拗ねているように見えてしまう。
それでもジルは真剣なのか、千歳の返答を待つようにジッと見詰めてくる。
これに千歳はしばし見詰め返した後、言った。
「……どうしてだろう?」
「は?」
ジルはさっきまで何かしら警戒していたようだが、千歳のとぼけた様な返答に目が点になっていた。
だが、我に返ると次第に顔が赤くなっていくのが分かる。
あ、怒った。そう思うと同時にジルが叫んだ。
「ふざけんなよ!」
あまりの大声に周りで話してたり、寝たりしていた客が千歳たちを五月蝿そうに見てくる。
ジルはそんな視線を気にせずに、更に言い募った。
「自分でも分かってないのに何で追いかけて来るんだよ!」
「いや、分かってないんじゃなくて今更冷静になってみると、さっきまであった自分の決意がバカらしく思えちゃって…」
「バカだからだろ!」
すかさず言い返したジル。
グサッと来た千歳だが、負けじと言い返す。
「元はと言えば君が私に失礼なことを言ったからでしょ?」
「何も言ってないじゃないか!」
「…………自覚、ないんだ」
きっとジルにとって、男と間違えたとか胸がどうとかという話は女の子に対して言っても問題ないということらしい。というか、気にもしていない。
(子供ってストレートに言ったりするからある意味残酷よね)
顔は引き攣った笑顔で、心では泣いている千歳。
きっと胸が大きかったらこんな間違いも起きなかっただろう。それがなんだか悔しかった。所詮胸なのだ。
そんな事を思ったりしている千歳とそれを怪訝そうに見ているジルのところへ、先ほどカウンターに座っていた癖っ毛の男、ディーが近づいてきた。
「おいおいジル、それは失礼ってもんだろう。女性には優しくしないと痛い目見るぞ?」
緩い笑みを浮かべたままディーは、ジルの頭に手を乗せて宥める。
「痛い目なんて今までたくさんあったじゃないか。しかも、ディーがお節介した事が原因で痛い思いするのが一番多いんだぞ!」
「ははは、それを言われちゃあ何も言えないな俺は」
喚くジルに頭を掻いて苦笑するディー。そんなやり取りは、兄弟のようにも親子のようにも見えた。
「あの、あなたは…?」
恐る恐る尋ねる千歳。痩せているとは思ったのだが、間近でみるとそれがより顕著に現れている。というかガリガリだ。
そんなディーは、尋ねてきた千歳に緩い笑みを向けた。
「俺かい?俺はディー。情報を生業にして、取ってきたり提供したりする情報屋だ。そんで、こいつがジルだ。俺が動けない時に代わりに情報を集めてきたりする。他にもあと二人いるが、まだ来てないからそのときに紹介しよう」
ディーは未だジルの頭に乗せた手を動かす。ジルは鬱陶しそうにしているが、逆らわずにされるがままになっている。
「あと、ジルが何かあんたに失礼なことを言ったようだな。謝るよ」
「い、いえ!もういいんです」
千歳は慌てて首を振る。あまりこの話に突っ込まれると身体の悲しい事実をまた認識しなくてはいけなくなるので、話を逸らすためにも名前を名乗った。
「私は、千歳っていいます。ちょっとした事情で遠いところから来ました」
「事情?」
「はい」
首を傾げるディーだが、千歳は苦笑するだけで詳しくは話さなかった。
あまりあの光景を思い出したくないというのもあるし、進んで話したくは無いとも思っていた。
ディーはそれを察したのか、そうかと一言いうだけで深くは追求しなかった。
「まぁ、何はともあれお嬢ちゃん、何か知りたい事があったら俺に聞きな。遠いとこから来たなら知らない事だらけだろう。教えられる情報なら教えるよ?」
「おい、ディー。もしかしてタダで教えるとか言うつもりじゃないだろ?」
ジルがそういうと、ディーはやれやれというかのように肩を竦めた。
「ジル、金が要るような情報は話さないさ。あくまで一般の情報だよ」
「それなら、いいけど…」
そう言いつつも不満そうに、もう少し情報屋としての自覚を持てだの、絶対ディーのようにはなりたくないだのとぶつぶつ言うジルを、あえて放って置いてディーは千歳に笑みを向けた。
「という訳で、何かあるかい?」
「そうですね…ちょっと考えさせてください」
ここのことを教えてくれるというのは有難いと思った千歳は、何を聞こうか考えた。
まだロンダーに来て二日目だ。全くといっていいほど土地勘など無いし、知ろうとすればかなりの時間が掛かる。
それに、必要不可欠な生活用品が買える店などもまだ分かっていない。ここに数日寝泊りするにしても、最低限のものは揃えていないといけない。
そう考えた千歳は、話すのを待っているディーに対して言った。
「結構ここ広いから、生活に必要な物が売られているお店とか、食べ物が安いお店とかに何処をどう行けばいいかとかの道筋を教えてくれませんか?」
これに対してディーは頷いた。
「たくさんあってお嬢ちゃんが覚えられるかどうかだが、俺の知っている限りのお店を教えるよ」
そうして、ディーは立ち話もあれだからと千歳をテーブルに着かせると、ディーの持っている店情報とその行き方を語り始めた。