Grace sorprendente  二章 7 




「ん?どうした嬢ちゃん、顔が真っ青だぞ?」
酒飲みの男が心配そうに顔を覗きこんできたが、千歳はそれに応える事ができなかった。
ただ呆然としながらグラスを落としたことも気付かず、震える声で口を開いた。
「今、あの人…最後になんて言ったんですか?何処が襲われたって言ったんですか?」
聞き間違いかもしれない、そうであって欲しいという思いがありありと分かるような表情で千歳は男に聞く。
その表情に何かしらの気配を感じ取ったのか、男は急に真剣な表情になるとはっきりと告げた。
「襲われたのはここから結構近い所にあるベルツェ村だと言っていたな。あそこはマーシル帝国から山一つ超えればすぐという位置だから、もしかしたら侵攻する為の足がかりとして狙われたのかもしれん」
「…………」
直ぐには言葉がでなかった。
頭が真っ白になっていて、その言葉をしっかりと理解するまで時間が掛かる。
「……な、んで…」
数分経った時、震える声で千歳は呟く。そして、それを皮切りに感情が爆発した。
「何で…っ……何でそんなことする必要があるんですかっ!!何の為に攻めてくるんですか!?」
食って掛かる千歳に男は困惑してたじろぐ。
「そりゃ俺に言ってもわからんよ。他の奴らだって同じさ」
そう答える男に、千歳は俯き身体を震わせた。
どうしようもない悲しみや怒りが身体の中を渦巻いている。
「……あんなに良い人たちだったのに!どうしてっ…どうしてっ!?」
「嬢ちゃん…………って、お、おいっ!何処行くんだ!?」
怒りと悲しみに震えている千歳に、男はどう言えばいいのか分からずいたが、急に慌てたように声を上げた。
千歳が急に立ち上がると、いきなり店の出入り口に向かって突如走ったからだ。
男の声に聞く耳持たず、千歳は先程まで兵を集めようと演説をしていた隊長の所まで走った。
「ん?なんだ娘?志願しようとするのは気概があっていいが、そんな細い身体では役にたたんだろう。さっさと帰る事だ」
気付いた隊長は志願者と勘違いしているのか、まるで鬱陶しいとばかりに背を向けようとする。
だが、千歳は隊長を行かせないとばかりに止める。
「違いますっ!私は村の、ベルツェ村の事が聞きたいんですっ!」
「何?」
「だれか生きている人はいないんですかっ!?もしかしたら逃げることが出来た人がいるかもしれないじゃないですかっ!?」
そう、もしかしたら幸運にも生き延びた人がいるかもしれない。
どこか隠れる場所にいてやり過ごした人がいたかもしれない。
縋る思いで訴える千歳だったが、隊長は首を振った。
分かり切ったことを言うなといわんばかりに隊長は言う。
「そんなものは既に調べている。村の人数は把握しているが、それが殺された人数と一致していた。残念だが、生きている者はいない」
「そんな!そんなの嘘ですっ!きっと生きてる人がいますっ!」
激しく捲くし立てるようにして千歳は叫ぶ。
何か一つでもいいから希望となるような言葉が欲しくて、それを言って欲しくてただ隊長の言葉を否定し続けた。
それに隊長は刺すような視線を放ち、いい加減付き合ってられんというように一喝した。
「くどい!我らがしかと確認したのだ!間違うはずがない!さぁ、そこを退け!いつマーシルの兵が来るとも限らん。急がねばならんのだ!」
「…っ!」
悔しさに力の限り歯を食いしばる。
頭の中はもう信じたくない一心で、それなのにその信じたくない事が本当の事で。
「嬢ちゃん、もうよしな。これ以上すると拘留されちまうぞ」
何時の間にか酒飲みの男が側に来ていた。
心配そうな表情を貼り付けながら、一向に動く気配のない千歳の手を引いて隊長の前から退く。
それに隊長は一瞥するだけに留めて直ぐに店から出て行った。
「ふぅ、吃驚したよ。いきなり走ってったかと思ったら兵隊さんに詰め寄るんだからな。この事態であいつ等ピリピリしてるんだ。下手したら本当に牢に何日か過ごす事になるんだぞ?」
安堵するように溜息をついた男だったが、それでも千歳が反応しないことになんとも言えない思いを抱いた。
これだけの状態になるのだから、さぞ村の者たちとは仲が良かったのだろう。
だれだって親しい人が急に死んだと言われたら信じられない。
だから千歳の反応は仕方がないとも思っていた。
「兎に角だ。こんな状態じゃまともに考える事も出来ないだろ?少し休めば落ち着くから席に戻ろう」
そこで、千歳がピクリと反応した。
男はそれを同意と思って先程座っていた席まで連れて行こうとしたのだが、違った。
千歳はいつの間にか顔を上げていた。だがその表情は泣きそうなほど脆く、歪んでいる。
「嬢ちゃん……?」
「村に…いけば…」
「へ?村って…まさか…」
男が言いかけたが千歳は手を振り払って翻り、そのまま店を出て行った。
「お、おい!こんな夜に行くのは危険だ!」
予感があったのか男はすぐさま後を追いかけるように駆け出したが、
「くっ!速すぎだぞ嬢ちゃん!」
酒を飲んで多少酔いがあるのもだが、それよりも千歳の陸上で鍛えた足が速く、途中まで追いかけたものの見失ってしまった。
「あー!畜生!あんなひょろっこい身体でなんて速さだ!」
そう悪態をつく男だが、このままではいられない。
夜は危ないから送ると言った手前一人にするなど出来ないのに、見失ってしまっただけでなく襲われるという事態に遭わせてしまうのは男として情けなさ過ぎる。
そこで男は判断したのか、急いで店に戻ると酒を飲みすぎてテーブルに突っ伏している連れに荒い声を上げた。
「おいティム、起きろ!」
ティムと呼ばれながら激しく揺さぶられよろよろと起きたのは、細い身体で顔に無数の傷がある男。
かなり酔っているのか、顔が真っ赤になっている。
「と〜もくぅ〜。なんですかぁ?折角いい気分で寝てたんですけどねぇ」
そんなティムが寝ぼけながら頭目(とうもく)と呼ぶ男を見上げる。
それに頭目と呼ばれた男は、直ぐに馬を駆けられるように準備を整えながら未だフラフラしている連れに怒鳴った。
「いいから馬を出す準備をしろ!」
「あ〜…了解〜」
訳が分からないティムはだがしかし、酔っているのか何の疑問も思わずに手をひらひらさせると、馬を止めている場所に向かっていった。
そして頭目も直ぐに馬がいるところへと急ぎ、自分の馬へと飛び乗った。
「ティム、ベルツェ村の方角は分かるか?」
「分かりますよぉ。よぉくわかります」
酔っていながらもしっかりと馬に乗ったティムは、陽気な声で答える。
「よし、ならそこに急ぐぞ。もしかしたら途中で見つけられるかもしれない」
「はいはい〜。んじゃ、いきますよぉ」
そうのんびりと言うなり、ティムは手綱を握ると馬を走らせた。
すると、口調とは裏腹にまるで風のように馬を駆り、物凄い速さで町の出口へと向かっていく。
その後ろを頭目が離れずにぴったりと付いていき、その間にも千歳がいないか周囲を探していた。
「直ぐに見つかるといいが…」
頭目は馬を走らせながらそう言いつつ、苦い顔で前を見据えた。


◆◆◆◆


頭目がティムを起こしに行く時、千歳は既にロンダーを出ていた。
門には武装した兵がいて千歳が通るのを制止しようとしたのだが、それを無視して走り続けたのだ。
兵は追っては来ない。わざわざ追う事でもないと思ったのかもしれない。
いや、敵がそこまで迫っている中で迂闊に外に出たくないのだろう。
だが、千歳はそんな事考えてもいない。考えているのは、一刻も早くベルツェ村に辿り着くということだけ。
それでもやはり体力の限界は来るもので、段々と走る速度も遅くなり、ついには膝に手をついて止まってしまった。
荒い息を無理に鎮めようとして咳がでる。
(まだ…村まで全然遠い)
きっと、人の足で行ったとしたら朝まで掛かるだろう。
分かっていても、千歳は直ぐに足を動かした。
先ほどの走りとは違い、ジョギングのように速度が遅くなっている。
心は村に向いてるのに、身体は息切れや疲労でうまく動かない。
部活で鍛えたといっても、そんなのはあまり役に立たなかった。
「シア…シリクさん…」
どうか生きていて欲しい。友達と言ってくれた人が、優しくしてくれた人が、お世話してくれた人が。
シリクの両親も、近所にいたルーシィも、村長であるグンターも、どこかに逃げ延びていて欲しい。
あの隊長が言った言葉は嘘なんだと、この目で確かめたい。
そう思いながら、千歳は村に向かう。
その時、後ろから何か迫ってくる音が聞こえてきた。
もしかしたら、今頃になって門にいた兵が追ってきたのかも知れない。
だが、その予想は外れた。
「嬢ちゃん!」
馬に乗って追ってきたのはルメリオ亭の時の酒飲み男だった。
そしてもう一人いる。きっとあの時酔い潰れていた男だろう。
身体が細く顔に無数の傷がありながら、表情はだらしなく歪んでいるため迫力が無い。
「あ、あの時の…」
息を切らしながら千歳は馬に乗っている男を見上げた。
ようやく見つけた事で男は安堵したのか、溜息を吐く。
「よかった。いきなり飛び出すから慌てたぞ」
「?」
まるで分かっていないように疑問符を浮かべる千歳に、男は額を押さえた。
どうやら、呼び止めようと叫んだのに聞こえてなかったらしい。
余程衝撃的過ぎたのだろう。男にもそれは良く分かることだ。
だがそう思ったのも束の間、直ぐに真面目な表情になって千歳を見据えた。
「嬢ちゃん、あんたベルツェ村に行きたいんだろう?」
「そ、そうです!」
言われた瞬間、千歳は見返しながら力強く答えた。
なんとしても村に行かなくてはならないという気持ちが、男にも伝わってくる。
男は馬に乗りながら笑みを浮かべる。そして、手を差し伸べた。
「よし、じゃあそこに俺たちも付いて行こう」
「えっ!?」
「言っただろう?夜は危ないから送ってくとさ」
「い、いいんですか?」
確かに送っていくとは言われたが、あれは宿に戻ることを言っていたのであって、村のことを言われたのではない。
だが、男は些細な事のように笑った。
「なに、ここまで来たんだ。それにこれも何かの縁だしな」
それには暫らく逡巡した千歳だったが、やはり早く村に着きたいと考えたのか頷いた。
「すみません。お願いできますか?」
「ああ、乗りな」
千歳は言われて男の手を取って馬に乗った。
生まれて初めて乗るので何となく不安な気持ちになるが、それよりも村のことが気になる。
「頭目ぅ、俺には何が何だかさっぱりなんですけどねぇ」
と、そこで傷のある男が初めて喋った。
なんとものんびり口調な傷の男だが、千歳にはその男がチンピラを思い起こさせた。
「ティム、説明なら後でする。だから今は村に行くことを優先しろ」
頭目と呼ばれた男は、そんなティムの問いかけに答えることなく一蹴して早く行けと促す。
「へいへ〜い、そんじゃ後で説明してもらいますからねぇ」
多少拗ねたような言い方をしながら、ティムは止めていた馬を再び走らせた。
そして、それに頭目も続こうとした時、
「あの…」
千歳が口を開いた。
「ん?なんだ嬢ちゃん」
「そういえば、まだ名前を言ってませんでしたね。私、千歳って言います」
「チトセか、いい名前だな嬢ちゃん。俺はレフだ」
そう言って、レフは笑った。
馬から落ちないように後ろからしがみ付いた千歳は、そのレフに目を向ける。
「レフさん、村までの道のりどうか宜しくお願いします」
「了解だ。しっかり掴まってな!」
言うなりレフはティムの後を追いかける様に馬を走らせた。グングン速くなる馬。
この速さなら夜明け前までには村に着くことができる。
そう考えながら、千歳は村の方角へと思いをはせる。
(シア、シリクさん、ミルカさん、アランさん…私、信じない。殺されたなんて……だから皆、どうかお願い。無事でいて…)
そう願いながら千歳たちはマーシルに襲われた村、ベルツェ村へと向かっていった。