その頃千歳たちは、雑木林を抜け出すところだった。
ティムのお陰で道を塞いでいた騎士に見つからずに進む事ができ、またレフの慎重かつ的確な指示によって他の騎士にも見つからずに済んでいた。
「もう直ぐか?」
呟くレフ。
千歳は声を出さず頷く。
見覚えがある場所だ。千歳はもう直ぐ村が見えるという確信を持って応えていた。
千歳が頷いたのを確認したレフは、そろそろと音をなるべく出さないように移動していく。
ここで見つかれば今までのことが台無しになってしまう。
例え近くに騎士がいないとしても油断は出来ない。
静まった夜なのか余計に心臓がうるさく感じながらも千歳は前に進む。
それなのに、ゆっくり進んでいるはずなのに、その音は次第に大きくなっていくような錯覚を生んでいる。
前を行くレフにそれが聞こえやしないかと思ったのか、千歳は無意識に自分の胸に手を当てた。
不安は尽きない。怖いとも思っている。だが、それでも今は前に進むだけだ。
夜で風が涼しいはずなのに緊張などで汗を流しながら、千歳は我慢強くレフに付いていった。
「…………あ」
千歳の目に、村が見えた。
とうとう来たのだ。千歳はベルツェ村を見ながら胸の奥から何かが湧き上がってくるような気がした。
この時、あの隊長の言った言葉を思い出す。誰一人として生きては居ないという言葉を。
だが、千歳は信じていない。皆逃げ延びているという考えを持っているが故の反抗心でもあった。
その答えはもう直ぐ分かる。確かめるのが怖いという思いがあるが、切り替えるように頭を振って村を見据える。
と、レフも千歳と同じく村を見て、それから何故か訝しげな表情をした。
村には人がいないのか、静かで、夜のせいか殺伐としたような雰囲気を持っている。
見た感じでは襲われたと思うような跡は無く、マーシルが攻めてきたということは嘘なのかと思うほどだ。
だが、千歳にとってはここを出て行く前と同じ風景で安堵したように息をついた。
「襲われたって聞きましたけど、そうとは思えないですね」
「あ、ああ。そうだな」
千歳が言うと、レフは我に返ったように頷いた。
「どうかしたんですか?」
「いや、なんでもない。とりあえず近くに騎士がまだ居るかもしれんからな。ここから先も隠れながら行くぞ」
レフの様子がおかしいことに気付いた千歳が訪ねるが、レフは何でもないようにかぶりを振ると、また警戒するように進み始めた。
隠れながら歩きつつ、辺りを見回す千歳。
ここを去ってからまだ数日しか経っていない。
だから村の色々な場所を見る度に、シアとシリクの三人で遊んだことなどが鮮明に思い出せた。
ここは顔を洗った井戸、シリクがふざけて開けた壁、シアが育てていた花……。
どれもこれも楽しい思い出だ。
他にも、ルーシィと一緒にした仕事場や皆で外に出て一緒にご飯を食べた場所などがそのままで残っていた。
どれもこれも変わらない。この事が、千歳に多少なりとも希望を持たせた。
「もう直ぐ、私がお世話になった人の家に着きます」
「わかった」
気を引き締めるように頷くレフ。
手前に見える家の向こうに、お世話になったシアの家がある。シリクやその両親と楽しく食事したあの家。
それを脳裏に思い浮かべながら、千歳はついにシアの家へと辿り着いて、
「……………何、これ……?」
愕然として立ち尽くした。
レフも千歳が見ている方へ顔を向けてから、同じように呆然となってそれを見た。
屋根は焼け焦げ、半分が倒壊しており、とてもそれが家とは思えないほどの惨状だった。
これでは、とても人が住んでいるとは思えない。思えるはずがない。
だがそれでもレフは、直ぐに立ち直ると千歳の手を引いた。
「嬢ちゃん、あの家だけ何故焼かれていたのか分からんが、手がかりがあるかもしれん。中に入るぞ」
「…………」
手を引かれながらそう言われても千歳は反応はしなかった。
ただ引かれるままについて行くだけ。先程まであった希望が吹き飛んだかのように頭が真っ白になっていた。
「家全体に火が回ったようだな。どこも煤だらけだ」
扉の無くなった入り口から中に入るなり、レフは中を見渡して呟く。
中は何処も黒く焦げており、原型を留めていない家具などが見えた。
また、焦げ臭い匂いがするのかレフは顔をしかめる。
「嬢ちゃん、ショックを受けている所悪いが、ここだけ焼いたというのがどうも気になる。調べるぞ」
「……はい」
震えたように頷く千歳は、レフの手から離れてゆっくりと中を歩き始める。
レフは千歳を心配そうに見ていたが、時間がないと思ったのか直ぐに他の場所へと探しにいった。
(何もかも焼けてる)
千歳はぼんやりと見回しながら歩いた。
手がかりを見つけるというよりも、家の中での思い出を探しているように進んでいた。
焼けて半壊していても、どこに何があるのか思い出せる。
(台所にリビング……シアの部屋……)
やはりどこも焼けて見る影も無かった。
それが、どうしようもなく思い出を汚された気分になり、涙が出そうになる。
(でもまだ……家だけならいい……)
そう、家ならまた建てれば良い。命には代えられないのだから。
そして、千歳はここの村に助けられた時から出て行くときまで使っていた部屋の前に来た。
(シアとシリクに初めて会った時がここだった)
この部屋は今でも愛着があった。
殺風景でありながらどこか心休まるような感じがして好きだった。
逆にそれが故郷を恋しくさせたが、そう思うほどこの部屋は気に入っていた。
(今はもう焼けて何もかもなくなってると思うけど……)
そう苦く笑いながらボロボロの扉を開けた。
「…………………」
途端、思考が一瞬停止した。
部屋の中も他と同じでやはり焼け焦げて変わり果てていた。
ベッドも箪笥も、見るも無惨な姿をしている。
だが、千歳はそれらを見ていなかった。そんな所よりも見るべきものがあった。
ベッドと箪笥しかないはずの部屋なのに、何かがあった。
千歳と同じくらいの大きさで床に転がっている。黒く焦げている。石のように固まっている。
「ひっ!?」
ようやく思考が追いついた途端に短い悲鳴を上げた。余りの悲惨な姿に腰を抜かしたように尻餅をつく。
初めて見る死体。
なんでこんな所に死体がと思うことも出来ない。ただただ混乱する頭でその死体を見続けた。
立とうとしても腰が抜けたのか力が入らない。
力が入らない足腰に焦りながら、それならと手を使って動こうとして、不意に目の端に何かが映った。
(あ、あれって……)
ベッドの下にあったのか、立っていた時は気付かなかった。
小さな物で普通なら見逃してしまいそうなものだったが、千歳には見逃さなかった。
死体がある所へ近づきたくはないが、どうもその小物が気になって仕方がない。
何かが頭の中で警戒しながらも千歳は意を決すると、上半身を使って這いながらそれを手に取った。
(これ……)
髪飾りだ。
それは所々焼けているが、ある程度原型は留めていた。だが、青い装飾は剥がれており歪になっているので、もう使うことは出来ないだろう。
(これって……)
いや、そんな事は千歳は気にしていない。
(これって、もしかして……)
それよりも、これが一体『誰の物』かが頭を占めていて。
(もしかして……もしかして……!?)
それは、シリクや千歳と一緒にいた少女の髪飾りに似ていて、
(違うっ!違うっ!!)
不意に強烈な異臭が千歳を襲った。
「うっ!!?」
あまりの臭いに手で口元を覆う。
これは生き物を焼いた臭い。生理的に受け付けないとても不快な臭いだった。
その臭いの元はあの死体だろう。そう思いながら、ゆっくりとそれに目を向ける。
それが、先程の髪飾りを見てしまったが為に、あの少女だと思えてしまう。
(違う!これは違う!シアじゃない!!)
そんな筈は無いと、きっとこれは何かの間違いなのだと、そう頭を振って必死に否定しながらしかし、千歳は見た。
「…………あ」
見てしまった。
「……あ……あ」
まるで大切なものを守るように抱きしめている焼けた死体の腕の中に、この異世界に来た時に着ていた千歳の制服を。
「嘘、だよね?」
これで千歳は確信した。これが、この死体が誰なのか。
この悲惨ともいえる死体の正体がなんなのか。
否定し続ける頭の中で、それでも目の前の現実がそれを粉々に砕いていく。
そしてしたくもない認識をした途端、臭いによってなのか、その姿が生前と余りにも違いすぎたためなのか、突如吐き気がした。
だが、それを千歳は口を押さえて無理矢理押さえ込もうとする。
(吐くなっ!吐くなっ!吐くなっ!!)
喉まで出かかってきて涙が滲み出る。だが、千歳は絶対に吐かない様に必死に押さえ込んだ。
例えこれが無惨な死体だとしても、千歳がこの異世界で出来た初めての友達なのだ。
怪我をした自分を助けただけでなく、その後の世話までもしてくれた。
まるで幼い頃から知っていたかのように接してくれた。
そんな友達を、そんな優しかった友達をこれ以上汚したくはなかった。
「……!?…かはっ!…っ!?」
どうにか飲み込み吐き出すことはしなかった。その代わりに激しく咳が出る。
喉も熱く感じたが、気にしなかった。
いや、気にする余裕がなかった。
ぽろぽろと涙が零れ落ちる。髪飾りを両手で強く握り締める。
「うぅっ…っ……ひっ……シア…っ……シアっ…」
悔しくて悔しくて、自分を責めて呪って、千歳は口を血が出るほど噛み締めた。
そして目の前にいる友達に何度も謝りながら、その焼けて硬くなった身体を抱きしめて、悲しみのあまり声を上げて泣いた。
「…………」
それを、何時の間にいたのかレフが見ていた。
その瞳はどこか昔を思い出しているようで、苦しそうな、悲しいような表情をして泣き叫ぶ千歳を見ていた。
「…………嬢ちゃん」
そう呼ぶレフだったが、千歳は泣き崩れているだけで反応しない。
それでも、レフはあえて言葉を続けた。
「他の部屋であと3人の死体が見つかった。誰かは分からんが、男が2人に女が1人だ」
それを、千歳は泣き続けながらしっかりと耳にした。
男が2人に女が1人、そしてシアを入れれば……。
(そっか……もう、皆……)
それ以上は考えたくなかった。
もう、ただ今は悲しさに身を任せて泣き続けていたかった。
『チトセ…。私達、まだ知り合って短いけど…親友よね?』
(うん……親友だよ……これからも、ずっと……)
泣き続ける千歳と、抱きしめられたもう動くことがない親友を、夜の月が優しく照らしていた。