Grace sorprendente  二章 10 




暫らくして一応落ち着きを取り戻した千歳は、レフに案内されて残りの3人の遺体を見た。
未だ涙で滲む目でそれを確認する。
やはりどれも見るに耐えない姿ばかりで、吐きそうになる。
それを我慢しながら、千歳は何か遺留品がないか探すことにした。
どんなものでもいい。どんなものでもいいから兎に角探していた。
しかし、どれもこれもただの炭となっている為にこれといった物は見つからない。
「結局これしかない、か」
そう言って手に持っているのはシアの青い髪飾り。
これだけしかなかったと悲しむべきなのか、これだけでもあっただけ良かったと思うべきなのか、千歳には分からない。
「嬢ちゃん、悪いがそろそろ戻るぞ」
レフが急にそう言った。
千歳がレフを見ると、手を耳に当てて遠くの音でも聞いているように思える。
もしかしたら騎士たちが近くに来ているのかもしれない。
あれだけ泣いたのだから聞こえてしまったという可能性もある。
だが、それが分かっていながらも千歳は難色を示した。
「この人たちをこのままになんて……」
まるで物のように置き捨てられているのを見ていられない。どこかに埋めてあげたいと思いながらの言葉だった。
「いや、時間がない」
すまなそうに首を振る。レフだって本当はこのままにしておけないと思っている。
しかし埋葬をするとなると時間が掛かるし、もう直ぐ夜が明けることから身を隠す事が難しくなることは明らかだ。
万が一見つかった時に闇に紛れて逃げるという事が出来ず、最悪捕まって殺される可能性もある。
分かっていても分かりたくないように弱々しく首を振って俯く千歳。
そんな彼女の気持ちが分からないでもないが、兎に角今は見つからずにここを離れる事が大事だ。
「疑問に思うところもあるが、ゆっくり考えている暇はないな……。お願いだ嬢ちゃん、辛いだろうが我慢してここから離れよう」
そう言ったレフに千歳は顔を上げる。その瞳は何を疑問に思ったのかと問うような視線だったが、レフは答えずに静かに外に出た。
どうやら今は答える気はないらしい。
暫らく呆然としていたが、千歳はお世話になった人たちに別れを告げて、重い足取りながらレフの後について行った。
レフはここまで千歳を連れて来てくれた人だ。
何の得にもならない。だが危険であるというのにレフはティムという男と一緒にベルツェ村までつれてきてくれたのだ。
そんな良い人を自分の都合で危険にしてしまう事は出来なかった。
いっその事レフだけでもここから離れていけばいいと思ったが、どういう訳かきっとそう言っても千歳が動くまでレフも動かないだろうということがぼんやりとした思考でも分かった。
レフが外を警戒しながら、ゆっくりとだがやっとついてきた千歳に振り向いて安堵の表情を見せる。
どうやら、千歳があまりのショックに動く事が出来ないかもしれないと思っていたらしい。
顔色を見れば確かにそう思ってしまっても仕方がない。
「走れるか?」
レフはちらと森の方に目を向けた。
「……はい」
間を空けて千歳が答える。精神的にいっぱいいっぱいで胸が張り裂けそうなくらい痛んでいるが、肉体的な疲労はない。
レフについていくくらいなら何とか大丈夫だろう。
これにレフはわかったというように頷くと、身を低くして静かに走り出した。
千歳もそれに習うように走り出す。
そこで、千歳の耳にもようやく音が聞こえてきた。それは騎士が複数歩いてくる音だった。
隠れて見ると騎士は二人で、全身鎧ではなく胸や腕、足の要所だけを覆っている鎧を着込んでいる。
警戒している訳ではなく単に巡回という意味で歩いているのか雑談しながら見回りをしているようだが、その姿にまるで緊張感が感じられない。
それどころか、雑談しながら笑いあったりもしていた。
これには目の前が真っ赤になるほどの怒りを感じた。
こんな悲惨なことが起きたという場所で苦しんだ人たちがいたというのに、何だかそれを笑われたように思い、汚されたとも思ったのだ。
そして、我を忘れて一瞬駆け出そうとした寸でのところで片手を取られ強い力で止められた。
「だめだ嬢ちゃん」
レフだ。
腕を取られてレフを睨むように振り返ったが、その言葉で我に返った。
悔しくて唇を噛み締める。だが、もう飛び出そうとすることはしないという意思を示すように力を抜いた。
飛び掛ろうとするのを我慢する事が出来たのは、レフが真剣でありながら心配そうに見ていたがらだ。
「……すみません」
「いや、俺もこんなところで笑う奴がいるのは不愉快に思う。嬢ちゃんが怒るのも仕方ないさ」
そう言いながら苦笑するレフ。
今は先を考えずに突っかかってしまっては不味い事になるというのに、精神的に参っているのかそれを忘れてしまった。
レフを巻き込まないようにしようと心がけていただけに、自分の心の弱さを痛感する。
それが表情に出ていることも分からない千歳をジッと見ていたレフは、励ますように言った。
「いいか嬢ちゃん。ここから森まで走る。遅れるなよ」
これは騎士たちが雑談をしていることから、早々気付かれる事はないからという判断からだ。
「はい」
千歳は今度こそ迷惑を掛けないようにこくりと頷いた。
騎士たちは全くこちらに気付いていない。これなら森まで走って隠れてしまえば見つからずに戻る事が出来るだろう。
「いくぞ」
そして、レフと一緒になるべく足音を消しながら森まで走りだした。
だが、それは途中で止まらなくてはいけなくなる。
家の影に隠れて見えなかったのか、何かが突然前を横切ったのだ。
「!?」
驚くレフと千歳。
特に千歳はもうちょっとで声を上げてしまうところだった。
だが、たとえ声を上げなくても意味はなかっただろう。千歳達の前を通った影は見回りをしている騎士だったのだから。
どうも一人でこちら側を見回りしていたようだが、千歳たちに気付いた相手も突然のことに驚いて固まっている。
騎士たちは二人ではなく三人だったらしい事に、いち早く立ち直ったレフが理解したと同時に内心で舌打ちした。
二人だと決め付けて行動したのが仇となったのだ。
だが、もう既にそんな後悔を捨てた。そのお陰なのか、レフの判断は素早かった。
「な、なんだきさ……っ!!?」
咄嗟に叫ぼうとした騎士の声を、相手の懐に潜り込むなり手刀で相手の喉を思い切り突いて封じたのだ。
「カハッ!?」
あまりの衝撃で騎士は声の代わりに空気を吐き出す。また喉を潰された激痛に音を立てて崩れ落ちると激しくのた打ち回った。
何とか痛みを我慢して無理矢理空気を得ようとしたものの、結果気管が詰まってか嘔吐するような咳を繰り返す。
その度、レフの手刀で喉を傷つけたのか血を吐き出して地面を汚した。
それを間近で見ていた千歳は手を口に当てて、悲鳴を抑える。
目の前で起こったことがあまりにも生々しく、痛々しかった。
無意識にその騎士へと駆け寄って大丈夫ですかと言いそうになったが、逃げないといけない状況でそんな馬鹿な事をしなくて済んだ。
「おい、どうした?」
「何かあったのか?」
先程二人で見回っていた騎士たちが音を聞きつけたらしく、近づいてくるのが分かったからだ。
「逃げるぞ!」
「あ!」
レフは直ぐに千歳の腕を取って全速力で森へと走り出した。
きっとこれで誰かが侵入したと分かるだろう。それなら早めに森に身を隠した方が安全だ。
そうしながら、レフはまるで吐き捨てるように言った。
「くそっ!手加減する余裕がなかった!」
それは先程の首を突いた騎士に対しての言葉だった。
だが、そうしなければ騎士が仲間を呼んでしまう。隠れてやってきた千歳たちにそれは危険だからこその対処だった。
そしてようやく森へと入る直前、千歳の後ろで笛を鳴らすような音が響いた。
この笛の音が何の為のものなのか考えずとも分かる。
「森の中に入ったら身を低くしてなるべく早く進むぞ。それなら多少は見つかる事もない。だが、それでもいつかは見つかるだろう。その時は全力で走れ」
レフが真剣になって千歳を見る。
どちらもまだ死にたくはないという思いがある。千歳は頷くとレフの後に続くように森へと入っていく。
騎士たちが大声を出しているのか、村の方が騒がしくなっているのが聞こえる。
騎士たちは仲間を傷つけられた事でその犯人を捜すために必死になっているようだ。
それでもまだ発覚したばかり。このままなら逃げ切れるかもしれない。
だが、油断は出来ない。千歳たちは騎士が近くにいないか警戒を怠らないようにして元来た道を戻っていく。
夜が明けようとしている森の中で、騎士と千歳たちの鬼ごっこが始まった。