Grace sorprendente  二章 11 




「まだ遠くへは行っていないはずだ!探せ!」
後ろの方から騎士たちの叫ぶ声が聞こえてくる。
また、草や木々を掻き分けて進んでくる音も微かながら聞こえてきた。
無造作に捜索しているせいか早々に見つかる事はない。
だが、見つからないようにしている千歳たちは物音を成るべく抑えながら進むので自然と距離は縮まってきていた。
「嬢ちゃん、もっと頭を低くしてくれ。見つかる」
「……」
言われたとおりに頭を低くする。
前を歩くレフだが、しっかりと千歳の方も注意しているのか度々そう忠告してきた。
この時思ったことは、レフについていくと不思議と見つかる事がないということだった。
レフに聞いたわけではないので分からないが、どうもこういった木々が茂っている所での移動に慣れている節がある。
そのお陰で騎士たちから逃れているともいえた。
千歳は後ろを振り返る。少しは距離が縮まってはいるが下手をしない限りはここは見つからないだろう。
「あと半分くらいだ。それまで辛抱してくれ」
余所見をしないようにという意味も含めて言われて、千歳は前を向き直って頷く。
確かに木々の間を歩いた経験なんて全くない素人だ。余所見をして余計なことをしてしまう可能性が無きにしも非ず。
それからは余所見をすることなく黙々と進み続けた。
「止まれ、嬢ちゃん」
と、順調に隠れながら進んでいたレフが、手で千歳を制しながら苦い顔になる。
なんで急にそんなことを言ったのか疑問に思う千歳だったが、直ぐに理解した。
大体50〜100m前方の離れた所から騎士が数名が迫ってきていたからだ。
「いかんな。奴ら道を塞いでいた連中も使って捜索してきていやがる」
まだこちらには気付いていないが、このまま進み続ければ見つかる事は必至だろう。
そして後ろからも近づいてきている事が分かる。完全に挟まれた状態だ。
しかし、どうしてこんなに早く前方から来る騎士たちに侵入者の報告が入ったのか。
千歳がベルツェ村から離れる際に荷馬車で送ってもらったのだが、道を塞いでいた騎士のところまで行くのに結構時間が掛かったものだ。
それを考えると、たとえ馬を駆けて伝えたとしてもここまで迫ってきている事はありえない。
だがレフは何か知っているのか、やっぱりかと呟いて前方を睨んでいた。
どうも心当たりがあるらしいのだが、今すぐに聞く事はできない。
流石にそんなことをしている暇などないということが分かっているからだ。
背筋に冷や汗が流れる。最初に異世界へと来た時の状況に似ている気がして心臓の音が段々激しくなっていく。
未だ傷が残る背中がズキズキと痛み始めてもいた。
あの恐怖を、激しい痛みを思い出したくなくない筈なのに無意識に思い起こされて身体が震えた。
「……大丈夫か?」
「……はい」
レフの問いかけにそう答える。
きっとレフは千歳が恐怖で震えているという事が分かっている筈だ。
だから大丈夫かと聞いてくるのだから。
だからこそ、千歳は大丈夫だというように頷いていた。
これ以上余計な心配をさせてはいけない。そんな思いを抱いていたからこその答えだった。
しかし、そうしている今も騎士たちが近づいてくる。
もう見つかってしまうのを覚悟して走ろうとレフに同意を求める為に口を開こうとした瞬間、
「嬢ちゃん、あんたは草むらに隠れてくれ」
「え?」
先にレフに言われて、先程言おうとしてた事を飲み込んでしまった。
千歳の返事を待たずにレフは顔を隠す為に布を巻いて懐から取り出したナイフを持つと、立ち上がるなり前方にいる騎士の一人に向かって投擲した。
もちろん傷つける為に投げたわけではない。かなり離れているので精度など無く、また全身鎧なので当たったとしても鎧に弾かれるだけだ。
案の定投げられたナイフは騎士の横にある木の幹に突き刺さった。
その瞬間、一斉に騎士たちが顔を布で巻いたレフの方に殺気を込めた視線を送ってきた。
「いたぞっ!!」
その声に騎士たちが呼応してレフへと接近してくる。
それは、なんとしてでもここで始末しなくてはいけないという心の内が見えるような勢いだった。
「嬢ちゃん、しばらくここで隠れて周りが静かになったら元来た道をまっすぐ進むんだ」
だが、レフは落ち着いている。
騎士たちが来るのを確認しつつ、どのタイミングで動こうか判断しているようだ。
「で、でも…」
これは自分がしなくてはいけないことではないだろうか?
巻き込んで、連れて行ってもらって、そして助けてもらって……。
それらの事があるからというのに、またこうして助けられてしまっているという罪悪感から出た言葉だったが、
「足手纏いだ。悪いがここは俺一人が囮になった方が二人共助かる可能性がある」
「…っ」
はっきり足手纏いと告げられて千歳は唇を噛む。
千歳が何かをしようと思っていても、それが結局足手纏いになってしまうとレフは判断しているのだろう。
きっとレフの言っている事は間違いではない。
千歳自身その判断が正しいと思っているからこそ何も出来ないという悔しくて悔しくて堪らないが、その一方で危険な事をしなくて済んだという安堵感もあり、頭がごちゃごちゃして気持ちが悪くなった。
その心情を知ってか千歳の頭を軽くポンと叩いたレフは、気にするなという笑みを見せる。
それに少し気が楽になって、千歳も若干引き攣った笑顔を見せてからもう大丈夫ですというように頷いた。
「それじゃあまた後でな」
それを確認したレフはそう言うなり、素早く千歳から離れるように木々をすり抜けるように走っていった。
千歳はしっかりと言われたとおりに自分を覆い隠せるような草木に身を隠す。
「あっちへ行ったぞ!逃がすな!!」
釣られる様に騎士たちはレフが逃げた方へと追っていく。
千歳がいる事に気付かず、全員がレフへと殺到して遠くへ行くのを千歳は隠れてじっと待った。
しばらく草木を慌ただしく掻き分けながら進む音がしていたが、それも次第に無くなっていき、数分後には静かになっていた。
「…………」
動くなら今だ。
折角レフがくれた逃げるチャンスを無駄にしないようにしなくてはいけない。
歩く度に枝や草で肌を切ったりしたが、そんな事は気にせずに進んだ。
レフと別れたところから結構進みながら、少し緊張を解く。
どうやらかなりの数がレフの方へと向かっていったようで全く人気が無い。
これならもう少し早く移動できると思い、千歳はふとレフがどうなったのか気になって見えるはずも無いのに後ろを見た。
「っ!」
咄嗟に低くしゃがんでその場に隠れる。
レフは見えなかったが違うものは一瞬だけ見えた。
銀色に鈍く輝く鎧、見間違いでなければ騎士だ。
一人だけだったようだが、それでも千歳にとっては脅威だ。
見つかっていないと思うのだが、それでも心臓が激しく音をたてている。
口を手で押さえて息を殺す。そうしないと乱れた息を整えられそうに無かった。
そして、騎士の方は思ったとおりまだ千歳には気付いていなかった。どうやら違う場所を見ていたようだ。
だが、足は千歳の方へと進んでいく。
しゃがんで隠れているといっても近づけば丸見えだ。
また、動く時に物音を立てないでいる事も難しい。
次第に音が近づいてくる。それを聞きながら比例するように心臓の音も大きくなっていく。
そして、
「だいぶ騒がしくなってますねぇ。もしかして見つかっちまいましたかぁ?」
突然上の方から声が聞こえた。
隠れていた千歳はもちろん、騎士の方も声にはっ!となって上を見上げる。
だが、木の上には誰もいない。
その代わり、その隙をついて鈍い音が騎士の所から聞こえてきた。
音と共に騎士が崩れ落ちる。
その倒れた騎士の側にいたのは、
「ティム…さん?」
「やっほぉ」
能天気な笑みを浮かべて手を上げているティムだった。
「頭目はどうしてますかぁ?」
「あ、えっと……」
助けてもらった事と、先程まで緊迫していた空気を壊しているティムに少し混乱して言葉が出ない千歳。
だがティムはそんな千歳が落ち着くように言ってから、千歳がここにくるまでの経緯を聞いてきた。
千歳は最初混乱していたが、直ぐに落ち着きを取り戻すとティムと別れてからの事を手短にに話した。
「なるほどぉ。そうですかぁ……」
顎に手を当てて考え込むティム。
それを無言で見詰める千歳。
しばらくして、よしっと決断したティムが笑みを浮かべたまま千歳に言った。
「じゃぁ、俺たちはさっさとここを抜けますかぁ」
「……はい」
こくりと頷いて了承する。
本当ならレフを助けに行きたいが、そうしてしまったら折角レフが囮となってくれたあの行動が無駄になってしまう。
それなら、もうここはレフの安全を祈っておくしかない。
「そんじゃぁ、行きますかぁ」
そう言うなりティムが先頭に立って進んでいく。
やはりティムもレフと同じで慣れているのか、草木の間をまるで何も障害物が無い道のように歩いていく。
それでいて物音を全く立てずにいるのだからレフよりもすごいのかもしれない。
そうしてティムに続いて歩いていくと、あの騎士が道を封鎖していたところへと出てこれた。
「さぁて、ここにいると騎士様に見つかっちまいますからさっさとロンダーに戻りますかねぇ」
「え?」
これには驚いた千歳。
見つかるのは確かにまずいが、このままロンダーに帰るというのはレフを見捨てるようで出来る筈が無い。
「あの、ティムさん。まだレフさんが……」
「あぁ、頭目なら大丈夫ですよぉ。上手くいきますからぁ」
「な、何がですか?」
「騎士様から逃げる事が出来るって事ですよぉ」
「それなら、良いんですけど……」
それでもやはり心配してしまう。
ここで待っていたいとも思っている。だが、それではダメだろう。
ロンダーで落ち合った方が遥かに安全だ。
ティムはそれを見越してそういったのだろう。
理解はしているが後ろ髪を引かれつつ、千歳はティムの大丈夫という言葉に従って一緒にロンダーへと戻っていった。
それから二日後。
ルメリオ亭で待ち続けていた男女二人に一人の男が声を掛けた。
服装は破れ泥がついたりしてボロボロ、身体や顔はこれでもかというような泥まみれの姿で現れたその男を千歳とティムは、安堵した微笑みと爆笑によって出迎えた。