Grace sorprendente  三章 2 




翌日、千歳は再びルメリオ亭に来ていた。
昨日言ったとおり、ディーたちに会う為だ。
まだ昼前でちらほらと人がいるのだが、夜に比べると閑散としているようにも思えてしまう。
千歳はそんな中で空いているカウンターの席に着いた。
兎に角ディーがここに来れば会えると言っていたので昼食を兼ねて待つことにする。
その際、メニューに名前だけでは良く分からないものを見つけた千歳は何となく怖いもの見たさでそれを注文したのだが、出てきたそれに引き攣った表情を見せた。
「昼食に食べるようなものじゃないかも……これ」
目の前にあるのは、黒いパン2つと一つの皿。
その皿はスープらしく、パンをそこに浸して食べるというものだ。
それなのだが、
「色合いがおかしいでしょこれ」
パンの色は黒。別にそれなら見慣れているからいい。だが、スープの色は濃い緑。
もう少し良い色に出来ないものかと思う。
「でも、前みたいに見た目に騙されちゃってる可能性だってあるわけだから」
まるでそうであって欲しいというように声を出す。
そして、店の商品として出されているのだから味は大丈夫だと半ば無理矢理そう思い込みながらパンにスープを浸して一口食べた。
「………………うっ!?」
瞬間、えも言わぬ味が口内を駆け巡り千歳は口を押さえた。
そこで食事を出した店主が味に悶えている千歳に、まるで食べるタイミングを計っていたのか、さも自慢げにこう言ってきた。
「どうだい、この店自慢の薬草スープは。腹を満たすのはもちろん、調子が悪い時や気分が悪い時とかに良く頼まれる人気商品なんだよ」
確かに村の事で色々と落ち込んだり悩んだりしていたし、今でも思い出すだけで気分が悪くなったりするけどこれは意味が違う。
「……私、別にそれで頼んだわけじゃないです。……味も……私には食べられた物じゃない、です」
「え、そ、そうかい?あんたみたいな若いモンには合わんのかもしれんな」
そう苦笑する店主。
ともあれ美味しいとは言えない食べ物でも、残してしまうのは流石に気が引ける千歳は時間を掛けて悪戦苦闘しながらも最後まで食べきった。
それでまず自分を褒めた。
そして、今度は絶対に興味本位で頼まないという事を肝に銘じた。
と、そんなこんなで結構時間が掛かっていたのか癖っ毛の男が姿を現した。ディーだ。
「あ、ディーさん……こんにちは」
「ああ、お嬢ちゃんか……って、どうした? 顔色が悪いぞ?」
「いえ、ちょっと無理したもので……」
千歳は大丈夫と手を振りながら店主に水を頼む。頼まれた店主は苦笑しながらも、水を杯に入れて千歳に渡した。
それを貰って一口。
「ありがとうございます。……えっと、ディーさんに聞きたいことがあって会いにきました」
隣に座ってきたディーはその言葉を聞くと、作ったような笑みを浮かべた。
「へぇ、何を聞きたいのかな? 金が必要な情報とそうでない情報、金が無いなら何かと等価交換という事でもいい。質問に見合った情報を渡す」
きっとディーが見せている今の表情は商売としての顔だろう。
最初に会った時とは違う雰囲気に若干戸惑いながらも、千歳は質問する。
「出来ればお金が要らない情報であって欲しいですけど……。えっと、ロンダーを出て行くとしたら何処がいいですか?」
「なんとも曖昧で答えずらい質問だな」
「すみません」
「いや、ちょっと待ってな」
情報屋としての責任なのか、彼は考え込みながらまずはと口を開いた。
「アマデオは除外だな。お嬢ちゃんが行くにはちょっと危険な場所だ」
「あ、そこって確か治安が悪いとか言われている所ですよね?」
「お、知ってたか。そうなんだ。盗みや暴行が結構起きてて生活するにはちょっとオススメできない」
千歳は頷く。確かに少し滞在するにしても、その少しの間で何か起きてしまう可能性があるのだから遠慮しておきたい。
「他に知っているところは?」
そうディーに聞かれて千歳は答える。
「他は……エルト村とフィムド村くらいですね」
「そうか……お嬢ちゃんはそのどっちかに行きたいのか?」
これには首を横に振る。
「いえ、別にこの二つに絞っているわけではないので。そうですね……キリジアの首都であるラーデンに向かう方向で考えてくれますか?」
「ああ、それならエルト村の方角へ行けば大丈夫だ。エルト村からもう少しいった所に町があってな。確かそこに首都へ行くための馬車があったはずだ」
地図はあるかと問われたので、事前に持ってきていた地図を広げてディーに見せる。
ディーはそれに手馴れたように筆で印をつけて教えてくれた。
「エルト村に行く時はロンダーに商売に来ている奴に話せば乗せていってもらえるかもしれない。そっちの方が安全だしな」
「ありがとうございます。でも、その商売をしている人は……直ぐに村には戻らないですよね」
「ん? なんだ? 何か急いでいる理由でもあるのか?」
千歳の言葉に首をかしげたディー。
だが、どう答えたらいいのか分からない千歳はただ早く村に行きたいんですとだけ答えた。
これにディーは頭を掻くしかない。流石に直ぐに村へ戻る者を用意するのは難しい。金を貰えば何が何でも用意するが。
「んー、お嬢ちゃんはお金をあまり使いたくないんだよな?」
「はい。この先少しでも蓄えておかないと……」
そこでディーは、それじゃあと指を立てて。
「金以外で何かを俺に渡してくれたら村に戻る奴をこっちで探して用意しよう」
「え?」
「何でもいいさ。だが俺がそれで良いと言うようなものじゃないと交渉は成立しない。こっちも商売だからな」
それは商売に使えるかどうかというのが基準となるという事だろうか?
だが、千歳にはこれといってディーが良いといえるようなものなどもっていない。
お金はもっての外で持ち物は生活に使うありふれた物。服は女性用なので流石にと思う。
そう言えば自分の持っている情報でも交換してくれるような事を前に言っていたのを思い出す。
だが、流石にあの出来事を教えていいものかどうかと逡巡する。
教えてしまえば村に行った事がばれる。もしかしたらそれを誰かに言われるかもしれない。
そうした迷いを感じ取ったのか知らないが、ディーはこの時真剣な表情を作って千歳にまるで信じて欲しいというような目を向けてきた。
「何か言うのを迷っているようだが、他人から貰った情報で不味いものなら隠し通すし、自分の命を懸けてでもそれを誰にも喋らないさ。情報屋は情報が命だ。脅されたりした時に喋ったりしたら信用を失うし、何より情報屋としてのプライドがある。……だからお嬢ちゃん」
そこでディーは安心させるような笑みを作り、
「教えてくれ。どんな情報を持っているんだ?」
聞いてきた。
千歳はそれでもどうしようかと考えていた。いきなりストレートに言うのは流石にはばかれる。
そこで、遠回りするように言葉を発した。
「ディーさんは、今マーシル帝国という国がベルツェ村を襲ったっていうのは知っていますよね?」
ベルツェ村という名前が出るだけであの惨劇が頭の中を過ぎり、胸が締め付けられるように痛み顔を顰めるが、ディーは気付かずに頷く。
「知ってるよ。というか、ここにいる奴らは皆知ってるな」
ディーは付け加えるように言葉を続けた。
「それに対抗する為に今兵を募っているが、荒くれ者たちは使い捨ての為の駒だろうな。首都から来る援軍の騎士たちが来る時間稼ぎとして使うくらいだろう。これも大体の奴らは知っている事だ」
「え? それで集まるんですか?」
「集まるんだよ。使い捨ての駒とは言ったが、もし仮にそいつらが戦果を挙げるとする。すると勇敢に戦ったという事で報奨金や名誉などが貰えるんだ。荒くれ者たちにとっては出世のチャンスということさ」
命を懸けてまでそこまでするという事態考えられない事だと思いながらも千歳は何も言わずに納得したように頷く。
「欲というのは際限が無い。だからこそ使い捨てと分かっていても目が眩んでいて気にならないのさ」
本当に困った事だよと肩を竦めるディー。
そこで、一旦口を休める為に店主に頼んでおいた白い飲み物を一口飲んだ。
「で、お嬢ちゃんはこれに関した情報を持っている訳だ」
ディーは改めて聞いてきた。
千歳は頷いて答える。
「はい。多分知らない情報だと思います」
これにディーは期待するような目で見てくる。
「そうなのかい? 俺も色々と調べたんだ。ベルツェ村へ人を使って行かせたり、ここロンダーにいる騎士に聞いたりしてな。そんな中で俺の知らない情報があるというのは是非聞いてみたい」
と、その言葉の中の一部に千歳は反応した。
「え? ベルツェ村に行ったんですか?」
「ん? ああ。俺じゃなくて雇った奴だけどな。なんだか国境じゃなくてこっちからベルツェ村に行く道への警備がえらく厳重だったらしい」
(すみません。それ多分私達が見つかったせいです)
何となく気まずくなって渇いた笑いが出る。
その笑いになんで笑うんだと首を傾げるディーだったが、千歳は気にしないでくださいとでも言うように話の続きを促した。
「まぁ、そいつは親しい間柄がベルツェ村にいるという事で、道を塞いでいた騎士にそれを話したら村まで案内してくれたようだ」
(……あれ?)
普通に聞き流そうとして、ふと千歳は思った。
そういえばあの時の騎士は、何が何でも、例え誰であっても通さないと言っていたとレフが無事に戻ってくるのを待っている時に、ティムが教えてくれたのを思い出したのだ。
それが、ディーの雇った人が村に行きたいというとすんなり案内したという。
首を傾げる千歳だが、それよりも続きを聞くために一旦考えるのを保留にする。
「途中騎士たちが森を巡回しているのを見たが、結構な数が森の中にいたらしい」
それはきっと同じ轍を踏まないためだろう。
「まぁ、聞いた俺からしたらそれでも国境付近にしては騎士の数が少ないと思ったんだがな」
レフの言っていたような事をディーも思っていたらしい。
レフは違和感を感じていたが考えた挙句分からず、諦めていた時にティムの言葉で分かったのだが、ディーはそう考える事も無く数が少ない事が分かっていたようだ。
情報屋ともなると些細な事でも見逃さないように出来ているのだろうか?
だがここで千歳は、はっとなった。
(騎士の数が少ないという情報は既に分かってるみたいだから……。そうなると私が持ってる情報って、村には全くといっていいほど荒らされた形跡がないって事くらいかも……?)
冷や汗が出た。さっき自信満々にディーさんが知らない情報があると言ってしまったのだが、一番大きいと思う情報を既にディー本人は知り得ていた。
(こ、これはちょっと他にどんな情報があるのか整理しないと!)
顔には出ないようにしながら回想して、
(ええと、どれがあったかな?……ディーさんの時とは違って私の方は近づく事も許されなかったって事と)
そして、
(一つだけ家が焼かれてた……って情報だけど)
最後の方は話さなくていいだろう。いや、話したくない。
親友と言ってくれた彼女のあの姿を、惨状を語ることなどしたくないから。
だから他にある情報だけでやりくりするしかない。
だが、騎士の数が少ないという一番大きな情報を知っていたディーだ。
もしかしたら千歳の持っている情報は既に知っているかもしれない。
いや、その可能性は高い。そうなればもう情報の交換は無理だ。
そうなった場合は、自分がディーの情報網を甘く見ていた事が原因なのだからなけなしのお金を払うしかない。
あれだけディーは知らない情報と謳っていただけに、自分をどこかに埋めてしまいたくなるくらいの自己嫌悪に陥る。
そうやって自己嫌悪に沈みかかっている千歳に、ディーは怪訝そうに目を細めた。
視線に気付いたのか、千歳は慌てて手を振る。
「あ、すみません」
「いや、まだ体調が悪いのか?」
「いえ、そうではないですから大丈夫です」
「まぁ、それならいいけどな」
ディーは改めるように笑った。
「で、まぁ途中まで喋ったが話しすぎると料金が発生するからここまでだ。お嬢ちゃんの方の情報を早く聞きたいしな」
「……もう既に一つ情報知られてましたけどね」
「そうなのか?でも他にもまだ情報があるならそれで等価交換にしよう」
「でも、私にとってはそれが一番の情報だったんです。だからもしかしたら他の情報もディーさんが知っているものかもしれません」
「え?」
ディーがきょとんとしながら千歳を見た。
先程まで活き活きしていたディーの瞳が、これから落胆したようになるのを想像すると申し訳ない気持ちになる。
「さっきは知らない情報かもって言ってごめんなさい」
恐縮したように頭を下げて謝る。
だが、ディーは苦笑したのみで千歳に頭を上げるように促した。
「いいさ。相手が良い情報だと言って話を持ってきたけど、それは既に知っている情報だという事は情報屋にとっては良くある事だ。少し残念ではあるけどな」
「……すみません。それと、ありがとうございます」
そうなると、千歳はもうエルト村に行く為には自力でそこに向かう者を探すか、歩くかしかない。
早く出て行くのには後者が良いだろうが、それには食料が結構必要になる。また用意したとしても荷物が多くなってしまう。
頭の中であれこれ悩む千歳。
既にディーとの交渉は終わったと思い、今後の事を本格的に考えるため挨拶して別れようとしたのだが、ディーはまだ終わっていないとばかりに口を開いた。
「一応、俺が知っている情報しかないのか話してくれないか?」
「え?」
「俺と君の持っている情報に齟齬がないか確認するために聞いておきたいのさ」
笑顔で言いつつ、ディーは話してくれと手で合図した。
「はぁ、えっと……それじゃあ……」
千歳はもう知っているであろう情報をディーに応えることにした。
どうせ知っている事だから、話しても何も問題はない。
「えっと、騎士の数が少ないのは知ってますよね。あと、ベルツェ村に行く途中で騎士が道を塞いでいたのも同じです。それから……」
そして千歳は、ディーが雇ったという者が騎士に案内されてベルツェ村に行ったのなら、荒らされたりした形跡が(一部を除いて)無かった事も知っているだろうと思い、少し大雑把に説明した。
「ディーさんが雇った人が村に案内されたならもう分かってると思いますけど……」
「ああ、村がどうなっていたかだろう?」
やっぱり知ってたと当然の事を思いながら千歳は頷く。
「はい。なんだかマーシル帝国が攻めてきたなんて嘘みたいに村は荒らされた形跡があまり無かったですよね」
「え?」
と、何故かそこでディーは何を言ってるんだというような顔をした。
ディーはその表情のまま、こう言った。
「ベルツェ村はかなり凄惨な事になっていたらしいぞ? 何もかもが焼かれて、荒らされていたらしい」
「え?」
千歳の方も、ディーに同じような表情を返した。
明らかに食い違っている。
ディーは慌てて口を開く。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。お嬢ちゃんのその情報はなんだ?」
「な、何だといわれても……ディーさんの知っている情報だと思って……」
千歳自身何が何だか分からずに混乱していた。
同じ情報を持っていると思っていたら、全く違っていたのだ。
混乱気味な千歳とは違って、ディーは動揺しながらも考え込みながら聞いてきた。
「お嬢ちゃん、その情報は嘘じゃないんだよな?」
「っ! 嘘じゃありません!」
咄嗟に声が大きくなるほど千歳は否定した。
ディーは、悪いと言ってからブツブツと考え込んだ。
千歳は、咄嗟に大きな声を出してしまった事に罰の悪さを感じて、今度は声を抑えた。
「ディーさんの雇った人が嘘を言ったとかはないんですか?」
千歳が考える限りでは情報が違うという理由はそれしか思い浮かばない。
だが、それは直ぐに否定された。
「いや、家族がその村にいたんだ。そいつは出稼ぎで離れていたところ助かったようだがな。裏は取ったから身元は確認済みだ。だから、自分の村の事について嘘をいうほど余裕などないだろう。かなり憔悴していたからな」
「…………」
それじゃあ、何故こうも違うのか。
千歳は心臓の音が早くなっている事に気付いた。
そして、何か悪い予感が足元から這い上がってきているようにも感じた。
「私は、嘘なんか言ってません。だって、私はディーさんの雇った人が村に行くより先に村に行ったんです」
「…………」
癖っ毛の男は無言のまま。
「それに、今あそこには騎士が警備してて、また攻め込まれたら大騒ぎになる筈なのに全くないじゃないですか」
身体が震えてくるのに気付かず、千歳はあまりにも恐ろしい事に眩暈を感じた。
「じゃあ……じゃあ、あの村を焼いたり荒らしたりする事が出来るのは……」
それ以上は言えなかった。言う事が出来なかった。
だが、ディーも千歳も理解した。
目的など分からない。理由さえも分かる筈が無い。
だが、これだけは分かる。
ベルツェ村は、千歳にとても親切で世話をしてくれた優しい人たちがいた村は、自らの国である騎士たちによって焼かれたのだ。