Grace sorprendente  三章 4 




翌日。
千歳は朝早くから宿を出た。
理由はなるべく聞き出す時間を長くしようという事と、赤髪の男と鉢合わせしたくないからだった。
前者は言わずもがな。後者は、会うのは滅多にあるはずがないのだが、それでも警戒してしまうのはそれだけ苦手なのか、怖いのか。
兎に角、千歳はまず誰に聞くのかを決めていたのか迷うことなく歩いていた。
そこは最初に食べ物を買った市場だ。
やはり早朝であっても色々と準備があるのか、品物を並べたり、値段をどうするか考えていたりと忙しく動いている人たちが多かった。
ここならば色んな人に話を聞けると踏んでいたが、正解だったようだ。だが、それは半分正解という感じだ。
慎重に行動して聞き出した結果、どうも準備に追われているせいか、まともに話を聞いてくれる人が少なく、思ったよりこれといった情報も集まらなかった。
貰った情報も、最近盗賊紛いの者たちが暴れているだの、どこかで暴動が起きただのといったあまり関係してないような情報が大半だった。
一応それらしい情報としては、騎士が一人どこかに行方をくらませた事と、マーシルからの間諜がキリジアに入り込んでいるという情報だろう。
前者は何かあったのかもしれないと思わせるような情報。
後者は騎士が殺気立っているという赤髪の男が言っていた事と関係がありそうな情報だが、それが何となくだが自分たちの事を言っているのではとも思ってしまう。
それもそのはず、そのマーシルの間諜は村に侵入してきて、見つけたが取り逃がしたと言われているからだ。
それ以上のことは特に何も言って無かった事から、詳しくはまだ知られていないということで一先ずは安心していいかもしれない。
そうして聞き込みをする中で朝食をついでに済ませ、粗方聞きまわった千歳が市場を離れようとした時だった。
「おい!そこの貴様!!」
大きな声が千歳を呼び止めた。しかも、その呼び止めた人物はあろう事か甲冑を着けたロンダーの騎士。
(え、な、なんで騎士が私を?)
若干戸惑って冷たい汗が出てきた。
必死にその表情を押し込めようとする中で、心臓が大きくなるのを感じながらも、呼び止めた騎士が来るのを逃げ腰になりつつその場で待った。
「え、えと……何か用ですか?」
「貴様、どうもここで色々と聞きまわっているようだな?」
それには一瞬心臓が止まるかと思った。
なんで千歳が聞き込みをしている事がこんなにも早く騎士の耳に入っていたのか。
「そ、そうですけど、別に知りたい事を聞くのは普通じゃないですか?」
恐る恐る相手の出方を待つように伺う千歳。
騎士はそんな彼女に威圧的な態度を変えずに言う。
「ここにいる大勢の者たちに聞かなければその知りたい事は分からんのか?」
一瞬鋭くなった眼つきに怯みながらも、千歳は毅然となって見返した。
「そ、そうです」
「……」
ジッと、まるで何かを探るように見詰めてくる騎士の視線に冷や汗が背中を流れる。
「それはどんな情報だ?」
来た、と内心そう思いながら千歳は緊張気味に答えた。
「さ、最近隣の国であるマーシル帝国が攻めてきて、戦争が起きるって言われているから、どこにどんな影響があるのか知りたかったんです」
拙いながらもはっきりと答える。実は昨夜に万が一のことを考えて言い訳を作っていたのだ。
それでも、そんな嘘はしつこく追及されたら途端にボロが出てしまうものだが。
幸い騎士はそんな事はせずに、ただ疑うように睨むだけで引き下がった。
しかし、その際に釘を刺す事は忘れなかった。
「……いいか? 今ここらではマーシルの間諜が潜んでいるんだ。この意味が分かるか?」
千歳は頷く。それを見て、騎士は更に言葉を続ける。
「これ以上怪しい行動をしていると次は捕縛する。情報を知りたいなら中央広場にある役所で聞け。」
「は、はい」
そうして、やっと騎士は千歳の元を離れて去っていった。
とりあえず安堵するように溜息をつく。
だが、安堵しながらも困った事になったと胸中で呟く。
(これ以上情報を集めようとすればまた騎士が来て、今度は問答無用で捕まえにくるだろうなぁ)
どうにも騎士たちは情報を集めようとしている者たちに敏感になっているようで、少しでもそういう話が耳に入ったならこうしてやってくるのだろう。
だがそれでは、千歳がここに留まった意味がなくなってしまう。
折角朝早く起きたというのに。
しかし、千歳はそれでもやはり諦められなかった。
まだ情報は全く集まっていない。関係ないもの、騎士に関係するものでも詳しい所まで分からないものが多く、それらが千歳にとって有益な情報なのかもよく分からない。
それでも、色々と聞いていけば分かるかもしれないのだ。
だから、騎士に言われたからといって直ぐに止めるという事など頭になかった。
そうなると日中は控えた方が良いかもしれないと千歳はそう結論した。
日中ならば人が多いために情報も色々と聞けるのだが、騎士たちも多く、目を盗んで聞き込みをするなどといった事は一介の高校生には無理というものだ。
現に、直ぐ騎士がやってきて問い詰めてきたのだから。
ならば、夜に行動した方がまだいいかもしれない。
酒場などは飲みに来る者たちが騒いでおり、隣の人に話しかけるのも結構声を出さないといけないくらい五月蝿いというのを、何回も行っている千歳は知っている。
それに、騎士たちも日中よりは少ないはずだ。
(うん、聞き込むのは夜にしよう)
そう決断した千歳は、一旦部屋に戻って夜行動する準備をする為に市場を出て行った。

◆◆◆◆

夜になった。
千歳は早速フード付きのローブを着てルメリオ亭とは違う酒場へと向かった。
同じ場所に行かない方が何となく良いかも知れないと思ったからだ。
この時、千歳はフードをしっかりと頭に被せて顔を隠している。
そして、酒場の中に入ってもそのまま顔を隠したまま空いている席に腰を下ろした。
千歳が来た時はもう既にどんちゃん騒ぎが始まっていたようで、酒の飲み比べや自慢話など様々な事で盛り上がっている。
隣の国との戦争だというのに、こういうのは止める事が無いようだ。いや、戦争だからこそだろうか?
そうやって辺りを見渡していると、店員が注文をとりに来た。
千歳は軽い食べ物と飲み物を注文してから、料理が運ばれてくるまで辺りを観察する事にした。
慎重に観察して、素人ながらも話をしてくれそうな者を探す。
柄の悪い者や酷く酔っ払っている者などは早々に除外している。あんなのに絡まれてしまったらどうなるか分からない。
女性の方がもっと良かったのだが、やはりここでも派手な衣装で男を誘惑している者しか見られずに諦める。
と、丁度そこで店員が料理を持ってきた。料理は比較的簡単な作りだったのか、頼んでから数分しかたっていなかった。
それを食べながら暫らく周りを見ていた千歳は、目星をいくつか付けたのか、食べ終わるなり直ぐに立ち上がって動いた。
やはり最初の一声は緊張するらしく、若干噛みつつも話こんでいき、情報を聞き出し始めた。
最初の一人が終わってからは比較的緊張しなくなって慣れてきたのだが、情報に関してはやはりあまり有益と言える様なものは集まらなかった。
偶にお金などと交換しようなどと言われたりもして、その値段があまりにも高い為に断念したものもあった。
一通り目星を付けた者たちを聞きまわった千歳は、今まで聞き出した情報を纏めた。
一番多かったのはやはり戦争だからか、間諜についての事だった。
戦争の中で情報が勝敗を左右するだけあって、この話には誰もが敏感になっているらしい。
次に、千歳が聞き出した情報の中で一番驚いたものなのだが、マーシル帝国の王が暗殺されたという情報だ。
といっても、これは噂程度のもので、実際にマーシルの王が暗殺されているのかはまだ分かっていない。
だが、もしかしたら戦争の発端はそのせいかもしれないとまで言われている。
後は特に有益とも言える様な情報は無かった。
早朝で聞いた情報と被っていたり、やはり関係ない情報だったり……。
気になっていた騎士が一人行方不明という話は、それ以上詳しい事が分からずじまい。
(これといって確信出来るものがないし、これじゃあどうしてベルツェ村を騎士たちが焼いたのか分からない)
それならもっと情報を聞き出せばいいのだが、流石にこれ以上聞きまわるのは止めておいた。
あまり長居をして騎士が来てしまったら夜に行動した意味が無い。騎士が来る前にここを出ていった方がいいだろう。
本当だったら今日一日だけ留まる筈だったのだが、どうもそれだけでは分からない。
(あと、一日だけ待ってみようかな?)
これが最後だ。流石にもう留まってはいられない。情報を掴もうが掴めなかろうが、明日で最後にしようと決めた。
レフが言っていたように早めにここロンダーを出て行かないと、危険が大きくなる。
それに、ロンダーを離れたとしても違うところで何かを得られるかもしれない。
千歳はそう自らに言い聞かせて、なるべく前向きに考えた。
「それじゃあ、もう今日は戻ろうかな」
そう言ってから直ぐに切り替えて千歳は席を立つ。
未だに騒いでいる連中の横を通る。酒の臭いや男を誘う女性の香水など様々な匂いがする。
それに多少顔を顰めつつ酒場を出ると、外は涼しい風が顔を撫で付けた。
寒いほどではないので、厚着することも無い。
きっと、夜の散歩には丁度良いくらいだろう。
千歳もそう思ったのか、夜の匂いや風の涼しさに気分を良くしながら泊まっているボロ宿まで歩いていく。
辺りは結構暗く、静かで、遠くに聞こえる喧騒が無ければ千歳しかいないんじゃないと思ってしまいそうだ。
そんな中を歩いていたのが災いしたのか、
「……っと!」
何かに足を引っ掛けたのか、千歳は躓いて転びそうになった。
身体が前のめりになり倒れそうになったが、何とかそれを免れた。その瞬間だった。
転びそうになる前に千歳の頭があった場所から、カツッと小さな音がした。
「え?」
その小さな音がやけに大きく響いている中、千歳がその音が聞こえた方向へと無意識に目を向けた時、それはあった。
手に収まるくらいの短い刃、片手で誰でも持てるそれは壁に突き刺さっていた。
「ナイ、フ?」
呆然とした表情のまま、目に見えたものを口に出していた。
千歳が言うようにそれは紛れも無くナイフだった。
方向からするに、もし千歳に当たっていたら側頭部にナイフが刺さって絶命していただろう。
それを理解した瞬間、千歳は思い切り全力で駆け出した。
その後ろではまたも連続して音がした。あのまま止まっていたらそれが当たっていた。
幸いにも村に侵入した時の少ない経験が、千歳の身体を直ぐに動かしていた。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ!」
後ろを振り返る。真っ暗で誰がいるのか分からない。
兎に角逃げるしかない。いきなり得体の知れないものが襲ってきた恐怖に震えながらも、千歳は全力で走った。