Grace sorprendente  四章 1 




大きな家へと入った千歳は、古い外見とは違い中々綺麗な作りをしているのに少し驚いた。
外見通りに中も古臭いように思っていたが、掃除が行き渡っているのか綺麗にされており、しっかりと管理されているのが分かる。
また、結構広く、テーブルや椅子などもたくさんある。家というよりも、ルメリオ亭のような飲み屋に近い感じだ。
中には2、30人は入るくらいの余裕があり、現に家の中にはそのくらいの人数が入っていた。
しかも、騒がずに黙って静かに座って待っていたらしい。千歳たちが入ってきた時でも全員が瞳を向けてくるだけで、一人も口を開かない。
知らずに無言の重圧を感じて千歳は内心怯む。大勢の無言の視線というのは、それだけで人を怖気させる。
そんな中、やはり魔術師だけは暢気に全員に声を掛けた。
「皆さん、ただ今戻りました。いやはや、遅くなりましたね。すみません」
無言で視線を送る大勢の前でリーシェが謝る。
なんとも気軽な謝罪だが、それに対して誰も反応を示さない。
いや、一人いた。
「お帰りなさいませ、リーシェ様。遅れた事はお気になさらず、私共は待つ事に慣れておりますので」
肌を隠した紺色の服とスカート、長い茶髪をポニーテールにした釣り目の女性が、そう言った後に控えめにお辞儀をする。
容姿もそうなのだが、言葉遣いや礼儀正しいお辞儀に勤勉そうで真面目な人なのかなと内心思う千歳。
「ああ、アイナさんにそう言って貰えると助かります」
リーシェがアイナと呼んだポニーテールの女性に微笑む。
その笑顔は親しみが込められていて、長い間親交があることをうかがわせる。
アイナもそれに笑顔を返してから、リーシェの後ろに控えている千歳を見た。
やはり知らない顔をここに連れてきた事に疑問をもっているようだ。
「この方はチトセさん。ちょっとした事情があり、私が引き取りました」
「まぁ……そうなんですか? それならば泊まれる場所を確保しておかないといけませんね」
リーシェの簡単な説明に、アイナは事情を詳しく聞こうとするどころか、割とあっさりと受け入れてしまう。
何をどう話したらいいのか分からないし、千歳自身もここにくる前にあった出来事、あの襲われたことについて何故自分だったのかなど説明出来ない。
もしかしたら、他人の事情を聞かないでいてくれたのは、千歳が内心それについて困ってしまったのを読み取ったからかもしれない。
少なくとも、色々と追求されるような事は起きないようだ。
千歳はそれに安堵しつつも、アイナに対してぎこちないながらも笑みを浮かべて礼を言った。
だが、そこまではいいのだがやはり視線が気になる。
不躾で無機質な視線が未だに千歳に注がれている。
警戒している訳でもないのだが、感情が無いような多数の瞳。
何となく背筋に悪寒が走ったような気がしたが、流石にずっと黙ったままでいるわけにもいかない。
いや、もしかしたらこの沈黙した大勢の視線に耐えられなかったというのが正解かもしれない。
緊張のせいか、唇が震えているがそれを何とか抑えつつ、千歳は大勢の視線に晒されながら被っていたローブのフードを外して挨拶した。
「えと……千歳と言います。ある事情でリーシェさんに助けていただいて、ここに来ました。…………よ、よろしくお願いします」
頭が途中で真っ白になったのか、簡単な言葉しか口から出なかった。
それでも、反応は無し。もしかしたらこの人たちは人形なんじゃないのかと思えてしまうほどの反応の無さ。
他にも何か言ったら良かったかなと千歳が不安に陥りそうになる前に、アイナが近づいてくるのが分かった。
「それでは、私はチトセ様をお部屋に案内させていただきます。リーシェ様と皆様は今後についてのお話をよろしくお願いします」
「え?」
これは挨拶が終わったといっていいのだろうか? これまた何ともあっさりした感じだ。
アイナは既に千歳を部屋へと案内するために外へと向かって行き、リーシェは笑顔のままでアイナに付いていくように促す。
そしてアスランは、
「……邪魔だからさっさと出て行けという事だ」
無愛想にそう言った。
いくばかムッとしたが、何も言い返さずに千歳はアイナの後を追うようにして家を出る。
言い返したところであの赤髪の男は何とも思わないと分かるし、リーシェがこの大勢の者たちと何か話があるというのも理解しているので、迷惑を掛けたくなかった。
千歳が家を出ると、先に外に出たアイナが待っていた。
「チトセ様、こちらへ」
「あ、はい」
言われて千歳はアイナの後についていく。
ついていきながら、千歳は安堵したように息をそっと吐いた。
先ほどの大勢の者たちの中には、女性は一人もいなかった。きっと、アイナが唯一の女性なのだろう。
流石に刺すような視線を向けてくる男たちといると疲れてしまう。
既にあの挨拶だけで結構疲れていた。
だからこそ、同性がいる事が精神的に楽になるのだ。
その事からまだ名前を知ったばかりでアイナ自身を知ったわけではないのだが、彼女に対して良い印象を抱いていた。
だが、一つ気になる事がある。
「あの……アイナさん」
「はい、何でしょうかチトセ様」
「えと、その……千歳様と呼ぶのやめてもらいたいんですけど」
そう言った途端、前を歩いていたアイナは足を止めると千歳の方に振り返って首を傾げた。
「それは何故でしょうか? お気に召しませんでしたか?」
「あ、いえっ! 気に入らないとかじゃなくて……様付けで呼ばれるのに違和感が」
「それでしたら、いつか慣れると思いますので今は我慢してください」
きっぱりと拒否された。
笑顔でやんわりと言われた筈なのに、それに対して有無を言わせないような威圧感があるように感じて、千歳は一瞬たじろぐ。
「は、はい」
そしてその威圧に負けたのか、無意識に頷いてしまった。
直ぐに我に返ったとしても後の祭り、アイナは千歳の返事を受け取った後は、もうその事に関して一切聞き入れないというように歩き出した。
千歳は、どうして様付けに対してこうも頑ななのか疑問に思いつつ、最早訂正できない事に項垂れながらアイナの後に続く。
途中、千歳の髪の色やら年齢などを聞かれ、驚いたり珍しそうにしたりするアイナの態度や表情に、最初持っていた真面目そうだという印象が少し変わった。
それから暫くして二人が着いたのは一つの家だ。
木で作られたその家は、千歳には日本にある別荘を思い浮かばせた。大きさも外見も全くと言っていいほど劣ってはいるが。
アイナはそこで千歳に振り返ると微笑みつつ、
「ここが、今日からチトセ様の住まいとなります」
そう言った。
「え? ここですか?」
若干驚く千歳。
千歳としては馬小屋みたいな、あまりにも失礼だが、家とも思えないものを想像していた。
きっとこういう想像をしてしまったのは前に泊まった宿が原因だろう。そうに違いない。
そんな千歳の表情を見てアイナは、それを気に入らないと解釈したのか申し訳なさそうに頭を下げる。
「すみません。この村の中でも比較的良い家を選んだつもりなのですけど」
「あ、いえっ! 別に気に入らないからという訳じゃなくて、前に泊まった所が泊まった所なだけに、逆にここでいいのかなって……」
慌てて何度も否定する千歳に、ようやくアイナは安堵してから、それでは今日はごゆっくりとお休みくださいと言って、もと来た道を帰っていった。
どうやら、アイナもリーシェたちとの話合いに参加するようだ。
それを見送ってから、千歳は家の中に入った。
中は殺風景ながらも綺麗で、汚れているところがない。どうやら誰かが掃除をしているらしい。
(まぁ、誰が綺麗にしているかは普通に想像できるけど)
そう思いつつ、千歳はここにきてやっと安心できた。
ここに来るまでに何かと肉体的、精神的共に疲弊するような事ばかり。
あの宿とも思えなかった場所でも満足には休む事も出来なかった。
その点ここでなら、十分心休められる。そう思いつつ、備え付けられているベッドへ近づき仰向けに倒れ込んだ。
チトセは、そのロンダーの宿のベッドとは比べ物にならないほどの柔らかい感触に満足しながら、天井を見上げる。
考えるのは、あの魔術師という男や赤髪の男、そしてその周りの人たち。
「……リーシェさんたちって、一体どういう人たちなんだろう?」
ここまでしてくれたのだからきっといい人たちなのだろうとは思う。誰かとは言わないが約一人を除いて。
だが、そこまでだ。それ以上の事は全く分からない。
何をしている人なのか、あの無言で居座っていた男たちとどんな関係なのか、そういった素性も事情も知らないままだ。
しかし、どうにも聞いてはいけないような気がした。
あの無言の圧力をかけるような男たちの異様な雰囲気が、ピリピリとした気配が、聞くなという警告のようにも思えていたのだ。
だからその場を簡単に名前を言って終わらせた。
ここにはリーシェが連れてきたとはいえ、千歳は彼らにしてみれば明らかに部外者だ。
それが、ここでは歓迎されていないのだと分かりすぎるくらい分かって悲しくなった。
「はぁ……」
千歳はため息をつくと、ベッドの上でうつ伏せになって目を閉じる。
そういえば、ベルツェ村から出て来てからここまで心から笑ったという事が無い気がする。
ベルツェ村があんな事になってからは、自分だけが良いのだろうかという考えまで出てくる始末だ。
それに、あんな悲惨な目にあってしまった村の事を思う度に胸が痛むと同時に、あの村を襲った者たちが許せない気持ちがある。
今は目まぐるしく事態が変わっており忙しくしていたせいか、なるべく意識しないで済んでいるが、きっとそれが目の前にいたのだとしたら負の衝動を抑えられない気がする。
「あー……もう、一人になった途端に何グチグチ言ってるんだろう私」
それは、思い出したことで内に燻っている負の感情をこれ以上大きくさせないようにするために自らに言い聞かせる言葉だった。
とりあえず、当分はここで生活する事になる。
いつまでかは分からないが、それはきっとリーシェが言ってくれるだろう。
それまでは兎に角、魔法の知識や国の地理、他にも様々な知識を頭に入れておくことが重要だ。
リーシェも、そういった知識を教えて欲しいといえば喜んで教えてくれる気がする。また、アイナも同様だろう。
他の者はまだ分からない。言葉さえ交わしていないのだから当然だ。
だが、それでも構わない。話していないのなら話せばいいだけの事。
千歳はベッドから起き上がると、少し気合を入れた。
今はたとえ歓迎されていないのだとしても、それでも自分なりに考えて行動していけば認めてもらえるかもしれない。
それは例えば家事だったり、仕事だったり……。
頑張って、そして役に立つと思って貰えたならば少しは考えが変わってくれるだろう。
そう思って、千歳は気を引き締めるように軽く頬を両手で叩く。
「うん、頑張ろうっ」
そうして千歳は、どんな事をしたら良いのか、はたまたどんな風に接したら良いのかを考えながらその日一日を終えた。